2010年1月30日

街の本屋

 フォーラムの筑波山麓自然学校を手伝ってから、そのまま流山の自宅に戻った。自宅に戻ると、必ず、夕食の後に、駅前の書店まで散歩に行く。一時間ほどをかけて書店の棚をくまなく見て歩く。新刊書をチェックしたり、現在の自分が興味ある本を探すのが、「街」に戻ったことを実感する「儀式」になっている。なにしろ、山小屋生活と「街」生活との最も大きな違いは、新刊書が山積みになった本屋と美味しいパン屋が近くにあるかどうかだ。
 でも、今夜も何も買わずに家に戻った。歳のせいだろうか、最近、めっきり読みたいと思う本が少なくなった。恋愛小説やミステリーなどは見え透いたフィクションが鼻につく。ビジネスや金融は、いまひとつしっくりしない。実用書や新書本を眺めても、どうでもいいような事ばかりだ。アウトドアやガーデニング、田舎暮らしの本に至っては、月並みで上っ面だけのものが多い。山小屋のストーブの前で、夜のふけるのも忘れて没頭できるような本、今までの生き方に衝撃を与えて、これからの方向を捻じ曲げるほどの迫力を持った本、いとおしくていとおしくて片時も手放せないような本・・・、そんな本はないだろうか? いつか、そんな本と出会うのを期待して、つい毎回、自宅に帰る度に本屋に向かってしまう。

2010年1月29日

梅の花が咲く

 今日は、予報では晴れとのことだったが、時折、小雨のぱらつくはっきりしない天気だった。こんな天気だからだろうか、朝から、何となく落ち着かない。うつうつとした不安な気分で何にも集中できない。こんなときは、焦ることは無い。きっぱりと、何もしないで一日を過ごすことにした。
 ピーを抱いて、小屋の裏にある果樹園を散歩した。その中の何本かの枝先が白くなっていたので近づいたら、はやり、梅の花が咲き始めていた。正月がつい先日だと思っていたら、もう梅の季節なのだ。顔を近づけたら、甘い春の香りがした。おかげで、ほんの少しの間だけど、しつこい憂鬱を忘れることができた。

2010年1月26日

もう春なのかもしれない


 どういう訳か、今年の冬は、穏やかで暖かな良い天気の日が続いている。おかげで、冬は外で食事できなくなるから嫌だなと思っていたが、このところ毎日のように朝食をデッキで摂っている。午前8時を過ぎると、東のヒノキに懸かっていた太陽がようやくのこと日差しを小屋に投げかける。急いで起きて、着替えて、コーヒーを入れ、パンを焼いて、野外のテーブルに運ぶ。テーブルの上に、すっかり葉を落としたホウノキとコナラの幹が、縦縞模様となって陰を落としている。昨日の風で落ちたヒノキの細かな枯葉を払って、皿とカップを置く。小屋を背にして、椅子に座り、全身に日の光を浴びる。暖かい。先月に比べて、ずっと日光に力がこもっている。目をつぶると、赤いまぶしい光で包まれているようだ。顔がじりじりと火照る。この感じが嬉しくて、せっかく温めたコーヒーも飲まずにじっとしてた。ピーは、足元でヒノキの実を転がして遊んでいる。(写真をクリックすると大きくなります)

2010年1月24日

ピーが元気になった

 夕べ自宅に帰り、今日の午前中は自然博物館の菅生沼の野焼きに参加して、午後に山小屋に戻ると、ピーが出迎えてくれた。嬉しそうである。しきりにミューミュー鳴いて近づいてくる。だいぶ元気になったようだ。留守にした時のご飯も食べているし、庭に出してやると走り回っている。でも、まだ以前の状態には戻っていないようだ。あれほど、ぼくの目を盗んですばやく逃げ出そうとしたのに、足元から離れない。走り回る場所も、ぼくの姿が見える範囲から外に出ようとしない。イタズラそうな表情も見せない。
 今回のことで、猫はとても繊細な神経をしていることが解った。人間が考える以上に、感情的にデリケートな動物なのかもしれない。明日は、いっぱい遊んであげよう。

2010年1月22日

ピーの怖い体験

 午後の5時過ぎ、辺りが薄暗くなってきた頃、ピーが遊んでいたお隣との境界付近から、突然、ギャーという悲鳴が聞こえた。どうしたのかと思い、あわてて見に行くとピーが走って戻ってきて、近くのウワミズザクラの幹に駆け登った。いつもより、ずっと上まで登って、真剣な表情でずっと先の方を見ている。ぼくも、そこに視線を向けると、一匹の大きな黒の縞ネコが走り去った。このネコと喧嘩したらしい。喧嘩というより、脅されたのだろう。子猫のピーとは喧嘩にならない。「おれの縄張りに入ると痛い目にあうぞ」と恫喝されたのだ。ようやく、木から降りてきたので身体を調べたが、どこも傷付いていないようだ。しかし、ピーには、初めての経験だったらしく、かなりのショックだったのだろう。その後も、どことなく元気が無い。いつもなら、この時間は、ぼくを遊びを誘うのだが、今日に限って窓の外をじっと眺めている。その後も、自分のベットに潜り込んだままだ。明日になれば、いつものように小屋の外に出たがってドアを引っかくのだろうか。少し心配である。
 どうやら、これまで箱(小屋)入り娘だったピーにとっては、今夕の出来事は、猫社会の厳しさを知る初めての機会だったようだ。

2010年1月21日

常緑樹の芽生え


 この時期になると、庭は、枯れ草を敷き詰めたようになる。その中でこそ気がつく植物がある。常緑樹の芽生えだ。厚ぼったい濃緑の葉で縁が波打っている。何処かで見たことのある葉だと思ったらヤブコウジ科のマンリョウだった。これは、お正月頃、花屋の店先などで寄せ植えの鉢をよく見かける真っ赤な実をたくさんぶら下げた植物だ。あたりをよく見るとあちこちに生えている。西の暗いヒノキ林の中には、実を付けた大きい株まであった。きっと、ヒヨドリなどの野鳥が、果実を食べて、お土産に落としていった種子が芽生えたのだろう。この木は、関東より西に分布している低木だが、八郷でも生育するようだ。この木と、センリョウ、それにアカネ科のアリドオシをセットで植えておくと、「千両、万両、有り通し」として大層なお金持ちになるそうだが、2年前に、ぼくが、せっかく植えたアリドオシは、いつの間にか消えて無くなってしまった。まことに象徴的である。
 また、根元にシラカシの幼木が2,3本まとまって生えている木が何本かある。これも、はじめは野鳥のプレゼントかと思ったが、生えている場所で気が付いた。一昨年の春に植えた木ばかりに生えている。そうだ、これは、ぼくが木を植えた時に入れた腐葉土にドングリが混じっていたのに違いない。それが発芽したのだ。庭に次々と出現する植物の由来を推理するのが楽しみになってきた。

2010年1月19日

フクロウの巣箱

 夕べのことである。西側のヒノキとスギの林の暗闇の中から、ギャーギャーという叫び声と、グルグルという鳴き声が聞こえた。この森の一部は、ぼくの土地であるが、夜は真っ暗で、おまけに中央の窪地には古いお墓まであって、かなり雰囲気のある場所である。数年前に友人と、そこのヒノキの木にバケツほどの大きさの巣箱を取り付けた。フクロウに住み着いて欲しかったからである。その後、いままでに使った形跡は無かったが、昨夜、聞こえた鳴き声は、確かにフクロウだ。もしかすると、今年は可能性があるかもしれない。フクロウは今月の下旬頃から繁殖の場所を探し始めるはずだ。しかし、気にかかるのは、昨夜の様子である。何かと争っていたようだった。考えられるのは、ハクビシンである。ハクビシンも、最近急激に増えている。庭のプラムもお隣の葡萄もあいつの被害にあった。それに、近頃、夕方になると近くのスギの梢から、たびたび邪悪な叫び声が聞こえる。フクロウが入っているところに、ハクビシンがチョッカイを出して喧嘩になったのかもしれない。あるいは、その逆かもしれない。ぼくとしては、是非ともフクロウに巣箱を使って欲しい。そして、5月の若葉の頃、あの真っ白なぬいぐるみの様な雛たちを見てみたい。

2010年1月15日

寒い日のピー


 このところ寒い日が続く。早朝、目覚めたら、いつの間にか潜り込んだのか、ピーのやつが隣で仰向けになって、ぼくと同じ格好で寝ている。今日はつくばで用事があるというのに、朝起きるのが辛い。布団の中で、ピーに「お前が先に起きて石油ストーブのスイッチを押して来い」と言ったら、あいつ、プイと横を向いて狸(猫)寝入りした。近頃は、ぼくの言葉がわかるようになったらしい。
 用事が終わって、夕方、小屋に戻った。今夜も冷え込みが厳しそうだ。さっそく、薪ストーブを焚いた。ストーブの近くに、ピーのベッドを置いたら、ずっとその中に入って寝ている。ネコの語源は、一説には「寝る子」だという説もあるが、その姿を見て納得した。

 このブログも、ピーが山小屋に来て以来、「ネコ・ブログ」になりつつあるが、外は、枯れ野で寒いから当分しかたがないか。

2010年1月14日

羊歯の鉢

 庭は落葉樹が多いので、この季節になるとすこし寂しくなる。手元に緑が欲しくなるのだ。そこで、流山の自宅から、オニヤブソテツの鉢を持ってきて机の上に置いた。ログの木壁と真っ白な陶器の鉢、それに植えた羊歯の光沢のある濃緑色の厚手の葉が美しく調和している。いつでも手の届くところで、生きた植物を置いて育ててみたいという願望は、これでひとつ満たされた。留守のときカーテンを閉めきった室内でも、シダなら水さえ絶やさなければ育つだろう。それに、羊歯には形に魅力的なものが多い。何となく原始的で格好が良いではないか。
 このシダの鉢は、以前、オリヴァー・サックス著の「アオハカ日誌」を読んで大いに刺激を受けて、自分もシダをもっと知りたいと思って育て始めたものである。彼に言わせれば、シダは顕花植物のように生殖器官である花を赤裸々に表に出さず、慎ましやかにひっそりと生きているのがたまらないそうだ。この本は、アマチュアの植物愛好家である著者(本業は著名な神経学者)が、同好の仲間とメキシコのアオハカ地方に、シダを求めて一週間の旅をしたときの紀行文である。アマチュアの博物学者だからこその楽しさが見事に描かれているので、誰でも、自然好きな人なら、読み進むうちに、自分もその一員となって珍しいシダを求めてメキシコの森を歩き回ってみたくなるだろう。
 筑波山の北面に位置する八郷も、シダの種類の多いところである。いつか機会があったら、ぼくもオリヴァー・サックスの真似をして山中をうろつき回りたいと考えている。

2010年1月11日

焚き火

 今日は、朝から曇り空で風もない。夜から雨になるという。そんな天気だからだろう、青柳の谷のあちこちで焚き火の煙が立ち上っている。ピーを抱いて散歩に出たら、お隣の家族全員が、赤々と燃える焚き火を囲んでお茶を飲んでいた。お誘いがあったので、僕も混ぜてもらい、焼き芋のご馳走をいただきながら楽しい時間を過ごした。焚き火で焼いたお芋は、香ばしくて実に美味しかった。

 谷を挟んだ向かいから、チェーンソウのうなり声が聞こえる。Dさんが、薪作りをしているようだ。東のお隣からも聞こえる。そう、ここでは、今が来年用の薪作りの最盛期なのだ。薪が簡単に入手できるからだろうか、八郷では薪ストーブを楽しんでいる人が多い。両隣もお向かいさんも、その先のお宅も薪ストーブのユーザーである。薪ストーブは、屋内で出来る焚き火だ。
 風景写真を写そうと庭の高台に登ったら、枯れた草薮から、茶色の小動物が飛び出してきた。野うさぎである。一瞬の間に、土手を駆け上がって前の林に消えた。
 曇りなので、寒くて暗くなるのが早い。あちこちの煙突からストーブの煙が上り始めた。(写真はクリックすると大きくなります)

2010年1月9日

ピーの改名

 ここで突然ですが、子猫のピーの名前を変更しましたのでお知らせします。「ピー(pie)」という愛称は従来どおりで変わりませんが、正式名である「ピコ(pico)」を「ピカリャー(picarya)」に改名したのです。なにしろ、最近、急に大きく生長して、野生味溢れる鋭い目つきに一層磨きがかかり、従来のスペイン語で「小さい」を意味する「ピコ」という可愛いらしい名前には相応しく無くなってきたからです。そこで、ピーの発見者のK君にゆかりのある西表島に生息しているといわれる謎の山猫である「ヤマピカリャー」を名前としたのです。これは、現地の人が「山で目が光るもの」の意味で呼んでいる謎の動物で、もちろん有名なイリオモテヤマネコとは違います。もっと大型なネコ科の動物で、台湾に生息するウンピョウに近いものではないかといわれています。いまだに捕獲されていませんが、我が家のピーも暗闇で目がグリーンに光るものですから、もしかするとK君がひそかにその子どもを・・・・・なんて想像してしまいました。(冗談ですよ)

2010年1月8日

シュロに西日が


 西側のヒノキ林の中に、シュロの若木が生えている。ヒヨドリでも種子を運んだのが芽生えたのだろう。それに、午後の西日が射して美しい。いそいでカメラを持ち出して写した。
 シュロは、東北地方まで分布している日本で唯一のヤシ科の植物である。お世話になったH先生から聞いた話だが、インドネシアの植物園の職員が、「日本にはヤシはないだろう」と言ったので、「いや、どこの藪でも生えている」と答えたら、相手がびっくりしたそうである。確かに、田舎では、屋敷の裏や隅に必ずといっていいほど一本はある。これは、シュロの皮が、たいへん腐れ難いので、縄や筵に加工したり、そのままで水を濾すのに使ったからである。そういえば、葉と葉柄を使って箒やハエ叩きも作った。こうしたさまざまな生活用品の素材として、竹などと並んで有用な植物なのである。それに、この植物はきわめて強靭である。日当たりでも日陰でも場所を選ばずに生育するし、火災にもめっぽう強い。昔、火事で何もかも焼けてしまったお宅で、一番先に芽吹いた木はシュロであったのを見たことがある。こんなことも、好んで屋敷に植えられた理由だろうか。

 ピーのやつ、一日中、庭を駆け回って遊んでいたので疲れたのか、夕方から寝てばかり。おかげで、ブログの更新も楽だ。

2010年1月6日

午後3時を過ぎた

 すでに午後3時を過ぎた。冬の日差しはすっかり傾いて、西側のヒノキ林の日陰が山小屋を覆う。木枯らしが、裸になった小枝を揺らしている。外部から見ると、一見寒々しいこの光景も、僕は嫌いではない。すこし薄暗くなった部屋の三方の窓から周囲を眺めると、まだ、明るい日差しが山の斜面を照らしている。その反照が、ほのかな光となって届く。その中で、椅子に座りテーブルに頬杖をつきながら、ぼんやりと木々の揺れる様子をを眺めていると、いつにも増して、静かさが深まったように思える。そろそろ、ストーブを焚こうかな。

2010年1月3日

リスを見かけた

 明けましておめでとうございます。挨拶回りから帰って、またいつも通りの小屋暮らしに戻りました。

 今日は、朝から穏やかな天気である。子猫のピーを従えて、庭を散歩した。その時のことである。リスが一匹、東側のクヌギの枝から枝へと軽やかに渡っているのを見かけた。やがて、お隣との境のヒノキ林に消えた。大発見である。この土地に来て6年になるが、リスを見たのは初めてである。筑波山塊にニホンリスが生息していることは、齧られた跡のある松ぼっくりを拾ったので知っていたが、まさか、自分の庭で目撃するとは思ってもいなかった。年の初めから、こんな可愛い訪問者があるとは、きっと、今年は良い年になるのに違いない。