2010年7月30日

緑の光の中で


 最近、どういう訳か、調査などで連続して筑波山に登っても疲れが残らなくなった。身体を酷使しているはずなのに、翌日になって足が重いなんてことはまったく無くなった。先日の健康診断でも、すべての検査項目が健康状態を示しており、以前から少し高めだった血圧も正常値に戻った。それは、僕がいつでも緑の光の中で生活しているからかもしれない。
 先週のブナ調査の際に、同僚のFさんが、私たちはいつも緑の反射光を浴びて生活しており、それに目と脳が慣れてしまっているから気が付かないだけなのだと話していた。そういえば、僕などは、日中のほとんどの時間、ずっと植物の緑の光の中で暮らしている。小屋にいるときは、周囲の樹木が反射した光が四方の窓から注いでいるし、もちろん、仕事で筑波山の山中にいるときは、全身が緑の光に包まれている。人類が誕生してから数百万年の間、いや動物が発生してからずっと今日まで、私たち人間は、この緑の光に包まれて生きてきたのだ。だから、この緑の光が、精神を癒したり、身体の機能を正常に保つのに何らかの役割を持っていることは十分考えられる。
 僕などは、もう、この緑の光が無いところでは生きていけない体質になっているのかもしれない(笑)。


土地との出会い

 流山の自宅に帰ってパソコンで遊んでいたら、古いフォルダーの中から数年前に書いた文章が見つかった。現在、山小屋がある土地と出会ったときのことなので、このブログにアップしておこうと思う。


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今になっては現実か想像なのか区別が付かないが、遠い昔、高校の図書室で、茨城県中部に「かくれ里」伝説があったという記事を読んだような気がする。

 何でも中世の戦乱の世に、心身ともに傷つき疲れ果てた武士が、小さな盆地の山里に迷い込んだ。そこは周囲の山々から集まった水が、田畑を潤して豊かな恵みをもたらし、季節ともなれば、ウメ、サクラ、モモの花々で谷が埋まった。盆地の真ん中にある寺院を囲むようにして、人々は平和で豊かな生活を営んでいた。武士は、この美しい里がすっかり気に入って、この地に留まり、素朴で心豊かな人々に囲まれて暮らしている間に、次第に身も心も癒されていった。しかし、時を経て回復するにつれて、国に残してきた妻子のことが気がかりになってきた。ついに、ある日、いつまでも住み続けたいという気持ちを振り切って、この地を後にした。その後、故郷に戻って家族と再会し、長い間、安穏に過ごしていたが、いつになっても美しい山里のことが忘れられず、再び訪れようと決心した。かすかな記憶をたよりに山々を彷徨ったが、どうしても里の在処が判らず、二度と足を踏み入れることが出来なかったという話である。

 私は「かくれ里」伝説を信じている訳ではないが、このような美しくて儚い伝説が誕生するような土地が必ずあったはずだと思い、数年前から、歴史と文化の豊かな小盆地を求めて、笠間、岩間、志筑、そして八郷などを歩き回った。こうした山里放浪の過程で出会ったのが、八郷の地である。筑波山は裾野を東の霞が浦方面と北の鶏足山地方面にのばしている。その東方向に伸びた山裾に挟まれた谷間の一つに椿谷がある。一目見て、ここがすっかり気に入った私は、昨年、地元の人に懇願して約2反歩の土地を分けてもらった。ここは、10年ほど前まで牧草地であったところで、樹木は切り払われておりススキ、ササ、葛、キクイモ、セイタカアワダチソウ、カナムグラ等の繁茂する原野になっていた。南正面は、穏やかな上り斜面が扇状に広がり、突端の境はちょっとした崖で終わっている。北側は、急な斜面の下に田畑と人家がまばらに点在するのどかな山里の風景が望める。東側はクヌギ、イヌシデ、ヤマザクラ、ウワミズザクラなどの雑木で縁取られ、西側にはヒノキ、スギの薄暗い針葉樹林が迫っている。

 それ以来、私は、休日の度にこの地に通い、草を刈り、雑木を植え、小屋を建て、土地の人々とも親しく交流してきた。そうこうするうちに、次第に、この谷間の人々の暮らしぶりや奥深く秘めている古い歴史、そして周囲の豊かな自然が少しずつ見えてきた。


 春の黄昏時、小屋の窓枠に頬杖をついて、向かいの山肌にヤマザクラの花がほんのりと白く浮かんでいるのをぼんやり眺めているとき、満月の晩に、地面の土に混じった雲母の破片がキラリと光るのを見つけたときなど、「もしかしたら、ここが、私が探していたかくれ里なかもしれない」と、ふっと思うことがある。


2010年7月28日

ハスが咲いた


 注文しておいたテインシャが届いた。表面には、観音菩薩のマントラである「OM MANI PADME HUM」が、チベット語で書かれている。「蓮の花の中の宝」という意味だ。これに合わせたかのように、庭の花ハスが咲いた。3年前から瀬戸物のハス鉢で育てていたのだが、これまで葉は茂っても咲くことは無かった。今年の春から日当りの良い場所に移したのがよかったのだろう。これぞまさに吉祥である。めでたし!めでたし!

 

2010年7月25日

いま、猛烈な雷が

 今、ものすごい雷が小屋を襲っている。こんな迫力のある雷は何年ぶりだろう。雷鳴で小屋の壁がビリビリ震えている。時々、庭の木に落ちたのかと思うような音が頭上で炸裂する。ピーは、すっかり怯えて、どこか部屋の隙間に逃げ込んで出てこない。彼にとっては初めての体験なのだ。電気も消えたり点いたり。ロウソクを燈したら、遠い昔の子供の頃を思い出して、何だか楽しくなってきた。
 それにしても、アマガエルはのんきなものである。ドアのガラス枠にどっかりと座って、平然と飛んでくる虫を捕まえては食べている。

 ・・・・・ ここまで書いて、車のドアが閉まっているかが心配になった。でも、もう遅いか。遠くでサイレンが聞こえる。雷が落ちたのだろうか。

2010年7月24日

プチトマトが豊作



 最近のブログに野菜畑の話が出ないから、今年もまた夏草に負けて失敗したのに違いないと思われてはいけないので、いかに、今年の野菜畑が成功したかを示す写真をアップすることにした。みどりの日の博物館バザーで買って来たプチトマトが、見事に育って、毎日たくさんの果実が収穫できる。こんな事は初めてである。成功の理由は、しっかりした苗を植えて、その後、こまめに腋芽を摘み取ったのが良かったようだ。誰でも、自分の畑で収穫した野菜は美味しいというが、ほんと、このトマトは瑞々しくて、味が濃くて、甘くて、実に美味い。決して、思い込みではありません。いまも、冷蔵庫で冷やしたトマトをつまみながら書いています。


2010年7月19日

ヤマユリが咲いた


 暑い!各地で35度を超えたようだ。梅雨も終わって、強い日差しが照りつけている。そんな中、小屋の北斜面の藪の中にヤマユリが咲いた。今年は、3輪も大きな花をつけている。「こんな見事な花を咲かせたのだから見て欲しい!」と言わんばかりに、辺りに濃密な香りを漂わせている。ヤマユリは、野生の草花の中では抜きん出て大きくて美しい花を咲かす。藪の中では、白い花被と赤い葯が実に良く目立つ。つい、花の少ないこの季節、これまで頑張らなくてもよさそうなものをと思ってしまう。

2010年7月16日

トンボを眺めながら



雲間から澄んだ青空がのぞいて、時折、強い日しが差し込む。もう、梅雨は終わるのだろうか?そうなら嬉しい。もう、鬱陶しい雨には飽きた。でも、この雨が植物や昆虫にとっては、恵みの雨なんだろう。庭の植物たちは、旺盛に新しい枝を伸ばして、瑞々しい葉を思い切り空に向かって広げている。その新葉や枝を、様々な昆虫たちがムシャムシャ食べたり、樹液を吸っている。 
現在の庭はまさにジャングル状態であるが、見慣れたらあまり気にならなくなった。神経質に草を取ったり、殺虫剤を撒き散らして、あらゆる虫を消滅させるくらいなら、今のジャングル状態の方が、よほど快適である。いろいろな植物や昆虫を発見できるし、彼らが競い合って生きていると思えば、けっこう面白いではないか。
今朝も、食事をしていたら、目の前の笹の葉に、アキアカネ?が止っていた。じっと休んでいるのかと思ったら、突然、ジャンプするように飛び上がり、また元の場所に戻る。どうやら、彼は空中の蚊か何かを捕まえているらしい。良く見ると、あちこちの枝先に、いろいろな種類のトンボが止っている。おかげで、山小屋は意外なほど蚊が少ない。これも、彼らのおかげなのだろう。
トンボを見ながら、食事をしていたら、いつの間にか1時間が過ぎた。

2010年7月12日

ノコギリクワガタが頭に止る

困ったことに、近頃、ピーのやつ夜遊びが習慣になったようだ。夕方、しばらく僕と遊んだ後、フイといなくなって、午後9時ごろまで帰ってこない。以前のようには心配しなくなったが、アイツが小屋に戻るまでドアや窓を閉められない。
8時になったので、表に出て大きな声で呼んだ。すると、ピーは現れなかったが、何か虫のようなものが暗闇から飛んできて僕の髪の毛に止った。捕まえてみると、ノコギリクワガタの雄だった。いよいよ本格的な夏が到来したようだ。

それにしても、ピーのやつ夕食も食べないで何処を歩き回っているのだろうか?まだ、帰ってこない。

2010年7月11日

ノリウツギ


今頃の庭で咲いているのは、アジサイの仲間ぐらいだ。小雨の中を見て回ったら、ノリウツギが咲いていた。葉を茂らせた木々の間で、円錐状の白い花がよく目立つ。僕の好きな木のひとつである。昔は、樹皮の内側の粘液を製紙用の糊に使ったそうだ。名前はそこから来ている。原田康子の小説で有名な「サビタ」もこの木である。アイヌにとって、この木は薬草や生活道具の素材として身近だったようだ。


2010年7月9日

マムシの話 二日目

数年前にマムシの事を書いたメモが見つかった。次いでだからブログの載せてしまおう。その後、気持ちが落ちついてきたら、やっぱり殺さなくて良かったと思えるようになった。でも、二度と僕の庭には来て欲しくない。

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「まったく困った話である。私の八郷の土地だけには、マムシはいないものと勝手に思い込んでいたが、今年の夏、友人のK君とI君が相次いで目撃したのだ。それ以来、草地を歩くときは、地面が気になって仕方がない。ガサッと動く気配があろうものなら、ビクつくようになってしまった。
 もっとも小屋のある龍神沢地区は、茨城県でも有数のマムシ密度の高いところのようだ。毎年ゲンジボタルが見られる小川の岸など、夏草の繁る所には、地元の人は長靴を履いてでもなければ絶対に立ち入らない。私も、ここのあぜ道を歩くときは、いつも緊張している。それなのに、他地区からホタルを見に来た人は、素足にサンダルで無邪気に歩き回っている。恐ろしい話である。今年の夏、事故が起こる前に注意しようと、I君直筆の絵看板を立てたが、その絵が怖すぎるほどの傑作だったのか1週間もしないうちに持ち去られてしまった。
 昨年は、私も隣の敷地で2匹を目撃した。その内の1匹は、工事の人に捕らえられ、ペットボトルに入れられて転がっていた。顔を近づけて観察しようとすると、鎌首を持ち上げた。よほど生命力が強いのか、2週間ぐらい生きていた。後日、この話を地元の人にしたら、マムシ酒を造ったのにと残念がられた。この地では、マムシ酒はいわば常備薬みたいなものでどこの家庭にもあるという。打ち身、くじき、虫刺され、乳牛の乳腺炎などの治療に、これを浸した布でシップすると効果があるそうだ。
 これほど「身近な隣人」であるマムシであるので、さぞや噛まれた人が多いだろうと思っていたら、意外と少ない。八郷でも数年に1度あるかないかだそうだ。
 実際に咬まれたことのある地元のKさんから体験話を聞いた。昭和30年代の頃、裸足で谷津田に入り、足の小指を咬まれたそうである。チクリという痛みを感じて、傷口を見たら2つの小さな穴があってマムシにやられたとわかった。急いであたりを見回したが姿は消えていた。15分ほどで自宅に戻り、昔から伝えられている通り、マッチの炎で燻したが火傷しただけで効き目は無く、痛みが次第に増してきた。当時、血清は石岡にしかなく救急車で運んで来たが、その副作用が強くて、その後、1ヶ月間も熱が出て、気分も優れず、食欲の無い日々が続いた。咬まれた足全体が腫れて黄色くなり、内出血して、マムシの斑模様と同じような紫痣がところどころに現れたそうである。聞いているだけで恐ろしくなってくる。また、Kさんは、散歩中に自宅の愛犬がマムシに咬まれた話もしてくれた。犬は顔を咬まれたので頭全体が腫れて豚のようになったそうである。放っておいたら1週間ぐらいで治ってしまったという。どうやら、人間は、犬やネコなどよりマムシ毒に感受性が高いようである。八郷在住の野口淳夫先生は、その理由を、イヌ、ネコなどの内、マムシ毒に弱い固体は死亡・淘汰され子孫を残すことができず、抵抗力のある個体だけが子孫を残した結果だと推定している。人間の場合は、「知能が高いため警戒し、かつ経験を伝達しあって咬傷をさけてきたので、マムシ毒に弱い個人も生き残った。」という。この仮説を聞いて、私をはじめ多くの人が、蛇を本能的に嫌う理由が理解できた。それほど、湿地での作業が多かった稲作文化の私たち祖先は、マムシに苦しめられ続けてきたのだろう。
 しかし、考えようでは、現在でも、マムシが生息しているということは、その餌であるカエルや小動物が豊富に生息しているということであり、それだけ良好な自然環境が保たれているという証でもある。マムシがいなくなるほど、農薬や化学物質でドロドロに汚染されるよりは「マシ」であるかもしれない。また、マムシがいるということで、人間が恐れて立ち入らないため、結果として、自然が守られているという側面もあるかもしれない。そう考えると、少しばかり「マムシと仲良くやって行くのもいいかな」という気になってきた。ただし、咬まれない限りにおいて。」   以上

2010年7月8日

庭にマムシが

 いつの間にか7月に入ったと思ったら、もう一週間が過ぎてしまった。この間、ブログの更新をやっていない。言い訳だが、何かと忙しい日が続いたのだ。今日は、久しぶりにフリーである。それに、朝から日が差して天気の機嫌もいい。知人が来るので、小屋を掃除して、ピーと一緒に朝食を取り、遊んだ。客が帰った後、懸案だったハーブ畑作りをやった。種を撒いたバジルとイタリアンパセリが大きく育ちすぎて、いそいで定植する必要があるのだ。汗を飛び散らしながら、やっと作業が終わりそうになったその時、以前からあった肥料の袋を持ち上げたとたん、その下からスルスルと蛇が逃げ出した。見ると、「マムシ」である。一瞬、ゾクッとして、続いてムラムラと殺意が生じてスコップを固く握った。いつも、平和な気分でプチトマトをつまんでいるこの場所に「マムシ」が潜んでいるなんて許せない。彼は、トマトの根元に逃げ込んだ。追い出してスコップの一撃をくえてやろうとしたが、どこに潜ったのか姿が分からなくなってしまった。逃げられた!これから、しばらくの間、びくびくしながらトマトをもぎ取らなくてはと思うと憂鬱になる。

 ハーブの苗を植え終わって小屋に戻ると、綺麗なカラスアゲハが、あたかも東側の窓辺においてある昆虫図鑑から抜け出たかのように窓枠のところで羽ばたいていた。ユズかサンショウに卵を生みに来たのだろうか。