2010年9月29日

西光院にて

来月から始まる「筑波山の自然展」の現地打ち合わせに、朝からでかけた。その帰り、ふと、峰寺西光院に寄りたくなった。ここは天台宗の古刹だ。山の中腹の崖上に懸崖造りの本堂があって、眼下に八郷の南半分が眺められる。平日の午後なので、誰もいない。聞こえるのは、森の木々を渡る風と鳥たちの鳴き交わす声だけ。開けた空には、雲が足早に流れてゆく。本堂の前で柱を背にして座り、盆地を曲がりくねって流れる川筋とその両側に広がる稲田を目で追ったり、山小屋のある山腹や顔見知りの集落と道路を探した。「あの山並みの向こうには広々と関東平野が続いていて、そこではいろいろあったな〜」などと感慨に耽っていたら、そのうちに、だんだん眠くなってきた。いつの間にか、居眠りしたのだろう。風が近くにある椎の枝を揺らす音で、はっと目が覚めた。何か夢を見ていたようだが思い出せない。でも、すっかり落ち着いて、静穏な満ち足りた気分になっていた。これからも、気持ちがざわめくときは、ここに来て座ろうと思う。


2010年9月28日

さよなら!流山の林よ。


流山の自宅で朝寝坊していたら、前の林の方から大きな音が聞こえる。とうとう、宅地開発が始まったようだ。窓から見たら、大きなフォークリフトが林に入って、木を倒している。みるみる間に、コブシの大木を根こそぎにした。この木は、真っ白な花をたくさん咲かせて他のどの木よりも春の到来を知らせてくれた。重機は、隣のヤマザクラにも手をかけた。ギギー、バリバリと悲鳴が聞こえる。林が消えてゆくのを見届けてやろうと、しばらくその様子を見ていたが、寂しくなってきてカーテンを閉めた。この林は、まだ僕が若かった頃、幼い息子と妻との三人で、この地に家を建てた時からあって、植物の好きな僕は大喜びした。この林があったから、この地に越してきたようなものだ。それから、ずっと30年間、家族は林と一緒に生活してきた。いつでも、家の窓には、林の緑の影がうっすらと映っていた。朝になると、林に棲む小鳥の鳴き声で目が覚めた。小さい頃の息子の遊び場だった。仕事で疲れたとき、この林にどんなに慰められたことか。
それが、今日かぎりで消滅するのだ。さよなら、林の木々よ!

2010年9月25日

庭の栗が笑う


 今月に入っていろいろあって、ブログを書く気になれなかったが、もう大丈夫だ。
 台風12号が去った午後からは、澄んだ秋空になった。久しぶりに、ピーと庭を見てまわったら、栗がたわわに実を付けていた。この木は、6年前に友人のF氏が遊びにきたときに植えたものだ。一度は、主幹を鉄砲虫に食われて途中から倒れてしまったが、脇芽が伸びて大きく育った。でも、こんなに実を付けたのは今年が初めてだ。それも、大粒のつやつやした実。イガだけのがいくつも枝に残っているから、昨夜の風で中身は落ちたようだ。枝の下を探したが見当たらない。さっそくネズミの餌になったのだろう。しかし、まだまだ、僕一人では、とても食べきれないほど付いている。つい先週まで、暑い暑いと言っていたが、いつの間にか、もう栗の季節になったのだ。