2012年5月28日

エゴの花


庭のエゴノキが見事に咲いた。庭には、購入した木、植物園等から貰ってきた木、そして庭に勝手に生えた木の三種類があるが、このエゴノキは、三番目の勝手に生えてきた木だ。
初めて、この木の幼いのが生えているのを見つけたときは、「よくぞ、僕の庭に来てくれた」と大喜びしたものだ。それが、どんどん生長して、今、たくさんの花を付けている。たぶん、小鳥に運ばれて来ただろう一粒の小さな種子が、たまたま僕の庭で芽を出し、数年後にこのような無数の花を咲かすなんて、やっぱり「奇跡だ!」としか言い様が無い。



2012年5月25日

窓辺のクレマチス


小雨の中、笠間のPdog5に行った。帰ろうとすると、北側の窓に、クレマチスの真っ白な花が一輪。そこで咲くことが、ずっと前から決まっていたかのようだった。




2012年5月21日

あちこちに太陽の輪が




今朝は、僕の人生の最後の日食だった(たぶん)。厚紙のピンホールから届いた光が、画用紙に丸い輪を描く。ピーと一緒に、息を殺して、光が完全なリングになる瞬間を待った。その時、辺りは急に薄暗くなり、風が止み、一瞬空気が冷たくなったように感じた。時間が止まった。遠くの森で小鳥が騒いでいる。
部屋に戻ったら、床一面にリング模様の光の輪。あちらも、こちらも。小屋の壁では、木漏れ日の一つ一つが輪になっている。


猫ドアの向こう

ドアの外で、ガリガリやっているのは誰だ!
なあ〜んだ、ピーか。何か用事かい?


2012年5月20日

夢のような話

美術館のような建物が近くあって、以前から気になっていた。谷津の底に、S字を延ばしたモダンアートようなデザインで横たわっているのだ。いつ行っても人気が無い。今日、通りかかったら、車が一台止まっていて建物のドアが開いていた。内部を見学させてもらおうと思い切って声をかけたら、何と! 知り合いの彫刻家のKさんが、オーナーらしい人物と話しているではないか。さっそく、紹介してもらい、建物の内部を案内していただいた。内部はギャラリーとカフェ・レストランの二つの空間に分かれ、壁はすべて曲面で構成されている。南面の大きな透明ガラス窓からは、やっと根付いた稲田や果樹畑、更にその先に緑濃くなった山肌が望まれる。まるで、美しい八郷の里山風景を切り取って額縁に入れたようである。オーナーによると、来月の始め頃には、あたりにゲンジボタルが飛び交い、ガラス窓にぶつかるほどだという。こんな素晴らしい建物が、3年間も何にも使われずにいたのだ。
皆で、八郷の地や芸術に対する思い、この建物の利用方法についての考えを話し合っているうちに、お互いにイメージや考えに通じ合うものがあることが解ってきた。それならということで、さっそくホタルの鑑賞会をやろうというところまで話が進んだ。
ホタルという幻想的な光を、この非現実・非日常の環境と空間の中で、特別に美味しい料理を食べながら鑑賞出来るなんて、それこそが夢のようである。

2012年5月16日

ハルジオン(春紫苑)


最近、庭の雑草の生長が急に加速を増して、あっと言う間に膝近くまで達した。休日の朝など、あちこちから刈払機の音が聞こえてくると、そろそろ一回目の草刈りをしなければと思ったりする。しかしだ! 雑草の中でも主流をなして、ひときわ目立っているのは、白やごく薄いピンクの花をつけたハルジオン。その花弁が逆光に透けて輝いている様子を目にすると、「もう少し、せめて花が終わるまで待ってやろう」という気になって、また、草刈りが先延ばしになる。この写真を見ると、僕の気持ちも解っていただけるはずだ。花の向こうにあるのは、ピーがお気に入りの野外テーブルと椅子。僕が留守しているときは、この上で昼寝をしている。




2012年5月15日

ピーの寝姿二態


『雨の日の猫はとことん眠い』なんて題の本があったような? (もと)野生の誇りも警戒心もすっかり忘れて、ピーは朝から寝てばかり。

2012年5月14日

ムカデ退治

先ほど、パソコンに向かっていたら、後ろの机で微かな音がする。振り向いたら、大きさが10センチ近くのムカデがいる。反射的に、近くの書類で叩いたが、なかなか死なない。床に落ちて、必死で逃げようとする。血相を変えて追いかけ、何度も叩いてやっと捕まえた。山小屋では、「生きものと共に暮らす主義」なんて格好を付けているが、ムカデとマムシだけは例外だ。昔、子どもの頃、夜中にカサカサと乾いた音がするので目を覚ましたら、すぐ脇の障子紙の上を巨大なムカデの影が這っていた。今でも、蛇蝎の類を見ると、その時の恐怖感が反射的に蘇る。それにしても、何だか今年は多い。これで2度目のムカデ退治だ。これから先、彼らの季節を迎えるだけに不安である。

常陸太田へ

うららかな春の日。友人たちと常陸太田へフジとクマガイソウの花を見に行って来た。クマガイソウは、すでに盛りを過ぎていたが、その見事な群落に感動した。中世の頃、お堀だったという斜面にびっしりと生えている。そこの主人が、木漏れ日、湿り気、土質そして地形が繁殖に適していたからだろうと、心から嬉しそうに誇らしげに説明してくれた。
 お隣のフジの大木のある家のおばあちゃんといい、住んでいる方々の表情が実に良いのだ。歴史豊かな静かな山間で、穏やかに暮らしていると、人は誰でもあのような顔つきや人柄になるのだろうか?もしそうだとすると、本当に豊かな暮らしとは、こういうところにあるのかもしれない。
 帰りに、国宝の佐竹寺を訪れた。ここは、寛和元年(984年)に花山天皇の勅願によって開山され、その後、長い間、佐竹氏一族の祈願所だったところだ。現在のお堂は天文15年(1546年)に佐竹善昭のよって再建されたもので、茅葺屋根寄棟造りの重厚なつくりである。お堂の前に立つとその存在感に圧倒され、改めて「あぁ〜! ここが佐竹一族の出自の地なのだ」と思った。
左上の写真は、鯨が丘の板谷坂で、道は古街道の一つである。まっすぐな急坂のある風景は、独特な雰囲気を持っていて、一度眺めたら忘れることは無いだろう。


2012年5月11日

師付の田井


昨日、Hさんのところへ行って稲苗を受け取って来た。今年も、おばあちゃんが、丹誠込めて育ててくれたので、丈夫な苗に仕上がった。いよいよ、明日、100人もの参加者で田植えする。
この苗が育った「かすみがうら市志筑」は、由緒ある場所だ。何しろ、万葉集で詠われている「師付の田井」は、ここだと考えられている。恋瀬川に沿って農道をしばらく進むと、田んぼの真ん中に案内板があり、水の湧いている井戸と小さな祠、そして石碑がある。遠くに龍神山や八郷の山々が望める。周囲は田植えの終わった一面の田んぼだけ。人の気配は全くない。もしかすると、この風景は千3百年前とたいして変わっていないのかもしれない。もっとも、雁がねは、もう滅多なことでは関東地方ではお目にかかれないが。
写真をクリックすれば歌が読めるので、虫麻呂の弧愁を感じて欲しい。
次に案内板で紹介されている鎌倉時代の歌「志筑嶺の、山かきけむるさみだれの、しずくの田井にさなえとるなり」は、あまりに我々の光景とピッタり同じなので思わず笑ってしまった。

2012年5月8日

降り注いだもの

昨日から、庭を歩いていたらいろんなところに紙くずが落ちているのを目にした。拾ってみると、PTAの行事予定表や、英語参考書の切れ端、新聞紙などである。どこから飛んで来たのかと不思議に思っていたが、今日、それが判明した。先ほど拾ったのはガス会社からの請求書で、宛名が「M生花店」となっている。ネットで調べたら、このお店はつくば市北条の店で、竜巻が通過した付近に位置している。一昨日の竜巻で巻き上げられたものが、筑波山から東に伸びる尾根をいくつも超えて、山小屋の庭まで飛んで来たのに違いない。「このお店の被害はどうだったのだろうか」とか「この参考書を使っていた子どもは無事だったのだろうか」などと、いろいろな思いが頭を過る。きっと、多くの人の落胆と悲しみが、風と共に舞い上がり、筑波山一帯に降り注いだことだろう。


2012年5月7日

ホウノキとカヤラン


 今朝はすっかり晴れたので、久しぶりに、ピーと一緒に庭のデッキで朝食をとった。そして、コーヒーを飲みながら、読みかけの本を読んだり、庭を眺めてのんびりと過ごした。ふと、空を見上げると、先日芽吹いたと思ったホウノキが、いつの間にか大きな葉を広げている。裏庭に回ってみると、桜の幹に着けておいたカヤランが小さな花を咲かせていた。小さくとも、ちゃんと蘭の形をしている。これは、昨年の秋、ムササビ調査で古刹を訪れたとき、住職からいただいて来たものである。その寺は、周囲が崖に囲まれていて、よく霧が発生するのだろう。境内の樹木には、びっしりと地衣類が付着して、その中にカヤランやクモランなどの野生の着生蘭が生育していた。きっと、今頃、いろいろな花が咲いているかもしれない。明日にでも飛んで行って見てみたいが、残念、予定が入っている。


2012年5月6日

北条の竜巻

定例観察会で加波山に登っていた。昼食が終わったとたん、にわかに西の方から黒雲が押し寄せ雷鳴が鳴り響いた。間もなく雹の混じった大粒の雨が降り出したので、予定を変更して頂上まで行かずに下山した。途中で、Sさんから「北条が大変なことになっている」と携帯電話が入ったので、帰りに寄って様子を見ることにした。北条には何人もの知人がいるのだ。車は進入禁止で近づけない。雨の中を徒歩で街に入った。街の西半分でとくに被害が大きかったようだ。雨戸や窓ガラスが飛び散り、壁が剥がされ、斜めに倒れた電柱から電線が垂れ下がって看板が巻き付いている。幸い知人の家は被害を免れたが、道の脇では、老婆が、一瞬のうちに襲ったこの出来事が何だったのか判らないというふうで呆然と佇んでいた。
昨日、北条のポステンでコーヒーを飲みながら、マスターと街の将来について、夢を語り合っていただけに、その変わり様にはショックだった。


2012年5月5日

山麓の夕暮れ


大雨が過ぎたと思ったら急に暑くなった。山小屋のある窪は田植えが終わり、初夏を迎える準備が完了した。博物館から帰ったら、太陽は筑波山の向こう側へ沈んだばかり。田畑と集落は静かな夕暮れに包まれ始めた。遠くの方から、草払機のエンジン音が聞こえる。


先日、植えたジャガイモとナス畑(?)を見回った。ジャガイモの芽が大きくなっている。近日中に、芽カキをしなかれば。どれが野菜でどれが雑草だか判りますか?(笑)


(追記) 今は午後9時20分。大きな月が出て田んぼが明るい。カエルの大合唱に混じって、西の方から「ポ、ポー」というアオバズクの鳴き声が聞こえる。毎年、聞こえるから、どこかの農家の大木で巣づくりしているのかもしれない。「青葉木菟」とは、よく名付けたものだ。



2012年5月4日

小屋の仲間たち

この春の陶器市から連れて帰ったオオカミ(しがみさこ作)と卯シーサー(田崎太郎作)の三匹で記念写真を撮った。みんな男の子である。さて、だれが一番ハンサムかな?

偶然にも、しがさんと太郎さんの工房は僕の小屋の近くだ。 (ピー!何処を向いているのだ!)

北に向かって

些細なことで、昨夜から心が重い。降り続く雨空と同じように、今朝起きても晴れやかな気分にはなれない。こんな日は、一日中、薄暗い部屋で過ごすのは苦痛なので、車でどこかに出かけることにした。ともかく北に向かって走らせてみよう。確か、益子でも陶器市をやっているはずだ。良く知っている41号線で、岩瀬を抜け益子に向かっているつもりだったが、なかなか着かない。その内に見慣れない風景が広がってきた。道標には、茂木、真岡だの那須烏山などと、思いも寄らない地名が表示されている。完全に方向感覚を失ったようだ。やがて、どんよりとした雨空の一角が薄くなり、斜めに射し込んだ光が、前方を照らしだした。雨に濡れた木々の新緑が一層冴えた。田植えが終わったばかりの田んぼが、空を写して光っている。何処に何をしに行くのかも忘れて、ただ空間を浮遊しているような、こういう瞬間がたまらなく好きだ。
・・・・・・ 夕方、小屋に戻ったときには、だいぶ心も軽くなった。

以下は、途中で写した写真。(クリックすれば大きくなります)
パンを買った小さなカフェ
"Boulange 770"

陶器市は、街はずれの方が面白い

連れて帰りたかった太郎さんの作品(非売品)

棚田に光が溢れて



2012年5月3日

カツラの若葉


夕べからの雨が降り続いている。小屋の窓を開けたら、緑のハートの上で雨粒が光っていた。ピーのやつ、朝寝坊していて、まだ、僕のベッドの上から起きて来ない。


2012年5月1日

ウワミズザクラ

 
 庭の周囲のウワミズザクラが、いま見事に咲いている。名前に「サクラ」と付くように、これでも桜の仲間だ。花穂の小さな花を手に取って見ると、その一つ一つが桜の花の形をしている。そのうえ、この木は、なかなか神秘的な一面を持っている。昨日、Nさんから、茨城の西金砂神社の72年に一度の祭礼で、日立の水木浜から汲んで来た海水はこの木につるされる、と教えてもらった。また、ウワミズザクラという名前も、鹿ト(かぼく。鹿の肩甲骨の裏側に溝をつけて焼く古代の占い)を行なう際に,この木を燃やしたことにより「占溝桜(うらみぞざくら)」と呼ばれ,それが転じて「ウワミズザクラ」になったという説もある。深いところで、この二つは繋がっているのかもしれない。写真をクリックすると大きくなるから、思いを古代に馳せながら、じっくり眺めて欲しい。