2013年12月31日

ビワの花

穏やかな大晦日。いつものように庭を散歩していて、葉陰に隠れるようにして、ビワが花をつけているのを見つけた。ビワの花は11月頃から咲き始めるのだから、ずうっと前から咲いていたのだろうが、果実に比べてあまりに地味なので気にも留めなかった。花は、バラ科らしく白い5弁の花弁で、どことなくイチゴに似ている。「葯には毛が密に生えている」そうだから、採取して観察しようとしたが、初夏にあの美味しい実が一つ無くなるかと思ったら、もったいなくて出来なかった。2月頃まで咲き続けるビワの花は、昆虫たちにとっても、冬の大切なレストランである。


2013年12月22日

羊歯は美しい

 

 久々に筑波山ファンクラブで小田の宝篋山を歩いて来た。雑木林の落葉樹は、すっかり葉を落として寒々としているというのに、ウラジロの群落のところだけ、瑞々しい緑が地面を覆っている。お正月飾りに、このシダを使うのは、冬でも美しい緑を保っているシダの生命力にあやかってのことなのだろうか。


2013年12月20日

クズで籠を編む


いつか子ども向けのワークショップで葛を使って籠を編もうと思って、友人のY氏のところで習ってきた。まずは、休耕田から葛のツルを採取することから始まる。根元を見つけて引っ張ると面白いように長いツルがとれる。二人で作業をしていると、老人たちが足を止めて怪訝そうに眺める。Y氏が「マフジを採っているんだ」というと、「ナーンだ、そうか」と納得して立ち去った。葛のツルのことを、石岡の方言で「マフジ」と言っているのだから、地元の者だと思ったのだろう。あるいは、雨の中、厄介者のクズを退治している奇特な二人と映ったか。彼らの若い頃には、このツルで柴や草を結わえたり、物を縛ったりと、暮らしのいろいろな場面に登場して親しんでいたのに違いない。
 午後から、Y氏の活動の拠点となっている小屋の中で、籠作りを教わった。黒板に書いたツルの長さの「数式」が、あまりに周囲の混沌とした世界と調和していた(笑)ので写真を撮らせてもらった。制作途中で、ツルを間違って切ってしまうなどのトラブルもあったが、何とか出来上がった「作品」は、それなりに野趣に満ちた味のあるもので、どことなく利休が好みそうな景色である(と、一人悦に入っている)。




2013年12月19日

暖かいのが大好きだ!

薪ストーブって、暖かくって、気持ちがいいなぁ〜。僕は大好きだよ!

今日も、たくさん遊んだし、お腹も一杯だ。
・・・
あぁ〜ぁ、だんだん眠くなってきた。
(ピーと僕は同じ台詞,動作)



 

2013年12月15日

岩間の悪態祭


お供えをゲットした子ども
こんこんギャラリーに寄ったら、Yさんから、岩間で悪態祭をやっていると聞いたので、さっそく向かった。この悪態祭は日本三大奇祭の一つと言われているが、僕はまだ見たことが無い。愛宕山の麓に近づいたら、三叉路の空き地に人だかりが出来ていて、誰もが、ここで何かを待っている様子だった。人々に混じってしばらくいたら、来た!来た! 白装束に身を包んで、マスクに青竹の杖をついた老人たちの群が愛宕山から下って来た。皆は、この行列を待っていたのだ。すると、あちこちから白装束の一行に向かって、「おい! おいぼれ、いつまで待たせるんだ!」、「大バカ者、もっと早く来い!」、「何をグズグズしてる!」などと罵声が上がった。白装束の一行はそれにじっと耐えながら、黙々と小祠に供え物をして、祈祷をあげている。祈祷が終わったとたんに、周りを囲んでいた人々が一斉に流れ込んだ。どうやら供え物の奪い合いを始めたようだ。この供物を奪った者はご利益があるそうで、白装束の天狗たちに悪態をつけばつくほど無病息災であるという。また、天狗たちは何を言われても、無言で耐えることが修行なのだそうだ。
 天狗さまのご一行は、こうして罵詈雑言を浴びながら幾つもの祠を回るというから、ご苦労なことだ。それにしても、悪態を言う方も、言われる方も楽しそうだったな〜。



2013年12月13日

風来里馬小屋のクッキングストーブ





 昨日、風来里馬小屋で18日の正式オープンを前に、クッキングストーブを使った料理の試食会を開くというので大喜びで参加した。僕は、この馬小屋(実際は巨大なログハウス)のオープンをずっと楽しみにしていた。なにしろ、3年前に杉の巨木を切り出すところから、皮むき、建築とずっとその過程を見て来たのだから。それに、客間にあるグリーンの美しいクッキングストーブにも関心があった。これは、本当にどれほどの実力があるのかと。
驚いた! ほとんどの料理が、これ一台で調理できるのだ。しかも、同時に。そして、どれもすごく美味しく。中央のオーブンでは、ローストポークに、焼きリンゴ、グラタンにパンを焼き、上の鉄板では、炊き込みご飯に、魴鮄のアクアパッツアを調理し、その上の棚のようなところではパンを発酵させた。やろうと思えば右側のコックを捻ればお湯も出る。もちろんストーブだから、広いログの部屋全体を、優しく暖めたのは言うまでもない。確かに、この薪ストーブは見た目が美しいだけではない。

 私たちが、楽しくおしゃべりしながら、美味しいものを次から次へといただいているというのに、外では馬たちが少なくなった牧場の草を食んでいて、ときどき恨めしそうに私たちを眺めていた。


2013年12月9日

またも、筑波山からの夜景


 昨夜、またも若い人たちと筑波山へ夜景を見にいった。展望ポイントの周辺は、ロマンチックな夜を過ごそうとしているカップルばかり。それだのに、我々は、納豆スナック菓子を齧りながら笑い転げて大騒ぎ。せっかくのムードをぶち壊していたようです。居合わせた皆さん、ごめんなさい。正面の地平線近くの灯りは東京の光、手前左側はつくば市の光です。(是非、クリックして大きな画面でご覧下さい)

2013年12月6日

X回目の誕生日


 今日もまた、一日が暮れようとしている。集落の街頭に灯がともり、車が家路を急ぐ。谷に焚き火の煙がたなびいている。最近は、このような平穏な日常の風景に魅かれる。やはり、相応に歳をとったのかな?


2013年12月5日

河童の夫婦

僕は河童の夫婦と一緒に暮らしている。今から、十年以上も前、八郷に通い始めた頃、この二人に出会った。それ以来、彼らは、ずっと自宅の机の上を住処としている。何でも、高齢のおばあちゃんが、鼻歌を歌いながら、ひょいひょいと粘土をこねて作ったものだそうだ。当時は、僕も退職するのにあたって、人並みにその後の生活に何かと不安や心配もあったが、その度に彼ら夫婦に語りかけて相談をした。すると、その愛嬌のある顔つきと暢気な表情で、「何も心配すること無いよ。本当に困ったら私らが何とかするから」と言ってくれているようで、幾度となく励まされた。実際、彼らが僕のところに来てからというもの、すべての不安や心配は杞憂に終わり、いろいろな事が良い方向へと回り始めた。
 今でも、何か良いことがあるたびに、夫の河童のハスの葉の上には木の実やお賽銭を、奥さん河童の壺の中には水を満たしてあげることにしている。また、そのとき頭の皿に水を掛けてやるのも忘れない。



2013年11月30日

筑波山からの夜景


 本当は、風来里馬小屋に行きたかったのだけど、今日は、つくば市の仕事で筑波山麓をガイドしたり、ヤマザクラを植樹しなければならなかった。おまけに、夜は知人から、筑波山からの夜景とムササビを見せて欲しいと頼まれて、それにもつきあった。

 僕が最高の鑑賞ポイントだと思っている岩の上に立つと、突然、180度の視界が広がる。眼下は無数の光の粒々。空には冬の星々。辺りは、真っ暗なブナの自然林。風が裸の樹木を揺らす音だけが聞こえる。意識を、微かに明るみを帯びた地平線に集中すると、まるで夜空を浮遊しているような感じになる。そのまま、もう一歩進んだら、その先は絶壁。何とか、この光景を写真にしようとしたが、所詮スマホのカメラ、その何十分の一も捉えられない。
 帰り、21時近くまで、暗闇の中でムササビの出現を待ったが、今夜は出会えなかった。

2013年11月29日

今朝の庭

 

 庭の木々も色づいて、葉の落ちた枝から枝へと小鳥たちの群れが飛び回っている。気持ちの良い朝だ。コーヒーでも飲もうと思ったら、豆を切らしている。すべて完璧は難しい。


2013年11月25日

晩秋の野山を歩いて


 植物画のM先生や絵の仲間たちと一緒に筑波山の山麓を歩いた。今頃の野山には、ほとんど花が無い。それでも、鮮やかに色づいた紅葉や黄葉の下を散歩するのは、実に楽しい。

ムラサキシキブ
静かな晩秋の林道を歩いていて、黄金色に輝く葉を見つけて大喜びしたり、つややかに光る赤い実を見つけては溜め息をついたりと、なかなか先に進まない。やっとのこと歩き出したかと思うと、こんどは宝石のような青い実を見つけて、また足が止まる。





コアジサイ

 そんな訳で、予定した行程の三分の一も行かずに引き返した。でも、時間や行程に拘束されずに、思う存分、野山の彩りの中に浸るのも、自然を味わう上でとても大切な事。贅沢なすごし方だ。(是非、写真をクリックして、大きな画面で見て欲しい)


2013年11月24日

パラグライダーの群れ

 Fさんの風来里馬小屋を訪問して、馬の遊ぶ庭から、ふと、空を見上げるとパラグライダーの群れが。小春日和の透明な空に、何羽もの色鮮やかな「鳥たち」が舞っていた。一緒に行った友人には、やさとの自由なライフスタイルを象徴する光景と映ったようだ。その後、クラフトフェアーでたくさんの友人たちと会い、TさんとSさんのパン工房を訪れた頃には、もう、すっかりYASATOの雰囲気に酔っていた。

2013年11月18日

スズメウリとフユイチゴ   


カラスウリより小さくて可愛いからスズメウリ。お隣の道端に、すっかり葉が落ちて、実ばかりになったスズメウリがたくさんぶら下がっていた。この実は、青いうちに齧るとキュウリの味がするのは知っている。一緒にいたK氏によると、灰白色に熟した実は、メロンの味がすると言うのだけど、(勇気が無くて)まだ試していない。


これは陽だまりのフユイチゴ。冬でも深い緑の葉の間から、真っ赤なルビーのような果実がのぞいている。この実は、甘酸っぱくて確かに美味しい。もう少し大きければいいのだが。



2013年11月15日

西方浄土

 笠間のY先生から筑波山ビジターセンターで展示するキツネの剥製を借りて来た帰り、石岡と八郷の境にある龍神山の麓までさしかかると、まさに筑波山の向こう側に秋日の太陽が沈もうとしているところだった。常陸国の国府と国分寺が置かれた場所は、ちょうど、この龍神山と筑波山を結ぶ線上に位置している。きっと、はるか昔、国府の人々も、こうした光景に向かって手を合わせたのに違いない。やはり、筑波山は、古代から現在に至るまで、ずっと特別な信仰の山であることを、改めて認識した。振り返ると、東の空に虹がかかっていた。

『いまをさること十劫の昔、阿弥陀仏は成道して西方十万億の仏土をすぎた彼方に浄土を構えられた。そして、現在でも、この極楽で人々のために説法している。この極楽という仏土は広々としていて、辺際のない世界であり、地下や地上や虚空の荘厳は微をきわめ、妙をきわめている。この浄土にある華池や宝楼、宝閣などの建物もまた浄土の宝樹も、みな金銀珠玉をちりばめ、七宝乃至は百千万の宝をもって厳飾されている。しかも、それらは実に清浄であり、光明赫灼と輝いている。衣服や飯食は人々の意のままに得ることができ、寒からず暑からず、気候は調和し、本当に住み心地のよいところである。また、聞こえてくる音声は、常に妙法を説くがごとく、水鳥樹林も仏の妙説と共に法音をのべる。したがって、この浄土には一切の苦はなく、ただ楽のみがある。』 (Wikipediaの「西方浄土」より)


2013年11月14日

ふくれみかんのジェラート

 
先週のこと、湯袋峠の入口で農家のおばさんから、ふくれみかんをいただいたので、真壁の橋本珈琲へ持ち込んだ。少し前に、マネージャーの山浦さんが、ふくれみかんで何かデザートを作ってみたいと言っていたからだ。彼女が淹れたコーヒーが美味いのは当然だが、実はケーキ作りの力量もなかなかのものだということを知っている。彼女がどう料理するかが楽しみだ。大いに期待が持てる。それというのも、このふくれみかんを使ったお菓子は、これまでに、多くの人が挑戦しているが、なかなか成功していないからだ。あの独特な香りが飛んでしまって、苦みと酸味だけになってしまったりと難しいのだ。唯一成功している言えるのは、昔から伝わる七味唐辛子くらいのものだ。

もう、出来た上がった頃だろうかと昨日訪れたら、何とカウンターの上に「ふくれみかんのジェラート」とメニューが置いてあるではないか。早速、試食をさせてもらって驚いた! 完成度がかなり高い。これまでで一番かも知れない。ちゃんと爽やかな香りが残っていて、甘みと苦みと酸味が絶妙なバランスで調和している。色も優しい。季節限定のメニューだそうだが、夏の「エスプレッソのかき氷」に続いて、「大人のための」秋のデザートの誕生である。

 ふくれみかんは、謎とロマンに満ちた果実である。万葉集巻二十に「橘の下吹く風の香ぐわしき、筑波の山を恋ひずあらめかも」と歌われている「橘」とは、このふくれみかんのことか、それとも古代の筑波地方では、柑橘類を総称して「橘」と称していたのか、研究者の間でも諸説ある。更に、倭武命と弟橘媛命の東征、冬でも青々と枯れることのない常世の国である「常陸」との関連、嬥歌の風習とのつながりなどなど、・・・ 。いずれにせよ、ふくれみかんは遠い遠い歴史を秘めている謎の古みかんであることは間違いない。そんなことに思いをはせながら「ふくれみかんのジェラート」を味わってみたら、味に一層の深みが加わることだろう。


2013年11月12日

「小砂焼」を知っている?


庭に昔の煉瓦を敷いている
小屋にじっとしていられなくて、笠間に行ってみようと小屋を出た。笠間まで来たら、山の木々が美しく色着き始めていて、「奥はもっと美しいぞ」と誘っているようだ。それなら、栃木県茂木まで行ってみようと思って向かった。茂木まで来たら、まだガソリンと時間はたっぷりあるし、馬頭まで行って温泉に寄ってみたくなった。湯船の窓からは、雪を冠った那須の山々と那珂川の流れが眺められる。秋の透明な日差しが、湯気を白く照らしている。

 帰り、近くの藤田製陶所に寄った。ここは、唯一現在まで続いている小砂焼(こいさごやき)の窯元だ。この窯は、安政3年(1856年)創業で、現在では六代目の藤田眞一氏が陶主である。この地で、天保元年(1830年)に徳川斉昭が陶土を発見して以来、水戸藩の御用窯であったり、幕末には反射炉用陶土を搬出したりした。更に、明治には日本で三番目に製陶技術学校が開設され、そして大正には日本で二番目の煉瓦工場が稼働するなど、この地は、日本の窯業史に重要位置を占めている。

しかし、今は、小砂焼を知る人も少ない。製陶所も教えてもらわなければ見過ごしてしまうかもしれない。静かな山里に、土壁の崩れかけた工場が、ひっそりとあるだけである。僕は、この小砂焼の質感と独特の色合いが好きで、約35年前に初めて訪れてから、近くに来た時には必ず寄って椀や茶飲みを買って帰った。今回は陶主の奥様に工場内を見せてもらった。土粉の厚く積もった古い木造の建物の中に、陶土を砕く巨大なボールミルや水分を除く圧縮機などが、ひっそりと佇んでいる。何でも、このミルは、煉瓦を焼いていた頃のものだという。すると、100年間も働き続けていることになる。残念なのは、先の震災で登り窯が壊れたままになっていることだ。
 陶土はいくらでも近くで採取出来るという。ここでは原料から作品の制作までを、一貫して家族で行っている。たぶん、こんな焼き物は他では無いだろう。

 隣の工房では、庇から奥まで入り込んだ秋の日差しをあびながら、陶主の藤田氏が一人で轆轤を回していた。
 

2013年11月8日

雨引観音のおみやげ屋さん


 天気は良いし、何の予定も無い。お腹も空いたので、峠を越えて真壁へ食事に行った。帰り、このまま小屋に戻るのは何かもったいないように思えて、車を北に向けて雨引観音に行く事にした。約十年ぶりの参拝である。確か、この寺は坂東三十三カ所の一つで、開創が6世紀後半で、昔から皇室の安産子育ての祈願所となっており、本尊が延命観世音と言う珍しい寺だと覚えている。

お寺はさておき、僕が気になったのは、門前に一件だけあるおみやげ屋さんである。店内には、所狭しと竹細工や玩具が並んでいる。奥の電灯の下では、優しそうなおじさんが店番をしている。売り物には、さまざまな籠や笊の類の他に、どう使うものか解らないものもある。棚の上で埃をかぶっているのは、何年もの間、置きっぱなしになっていたのだろう。妙に、懐かしい雰囲気だ。ここだけ時間が止まったままのようだ。店の軒下には、近所で採れた野菜が、無造作に段ボール箱に入ったまま並べられている。あまりに長く店にいたので、何か買いたいと思ったが、とっさには思いつかない。仕方が無いので、結局、一袋260円の桜川産の自然薯を買って帰った。さっそく、夕食を「とろろ汁」にしたら、これが実に滋味深く美味しかったのでつい食べ過ぎてしまった。



2013年11月4日

秋蛍が盛んに光っている

今、山小屋では、ホタルが盛んに光っている。今夜も、庭のヒメシャラの木の下で光っていた。といっても、空を飛びながら光るホタルではなくて、いわゆる「土ボタル」というものだ。9月から11月の初めにかけて、野山の落葉の陰などで小さく光るから、「秋蛍」などと風流な名前がついている。これはクロマドボタルの幼虫で、陸生の貝などを餌としている。僕の庭には、この餌となる貝がたくさんいるらしく、この蛍が多く生息している。夜、犬の散歩をする人から、この地面で光っているのは何かとよく聞かれる。昔は、マムシの目と間違われて恐れられたようだが、正体は写真のように小さな虫である。(あぁ〜! またも、奇怪な生きものをアップしてしまった)


2013年11月2日

最近のピー

 「毎回、主人のブログを開けるたびに、ゲジの奇怪な姿が現れて不快に思われた方も多いと思います。そこで、多少なりとも気分直しなにればと思って、最近の僕の写真を掲載します。」・・・「もし、ぜんぜん気分直しにならなかったら、ごめんなさい」と、ピーが言っていました。


 近頃は、すっかり朝晩が寒くなってきて、あいつは、夕べなど僕のベットの中に潜り込んで朝方まで熟睡していた。ふわふわの毛で湯タンポ知らず。




2013年10月31日

秋の夜長の楽しみ:ゲジの訪問

小屋は林の中にあるようなものだから、いろいろな虫や小動物が訪れる。それを捕まえて、図鑑で調べるのが、僕の密かな楽しみになっている。秋の夜長など、枕元にやって来た虫たちをじっくり観察してその生活を知るのは喜びですらある。今夜の訪問者は、先日のナメクジと反対に足の多いもの。「ゲジ」である。あの「ゲジゲジまゆげ」の「ゲジゲジ」である。
 このゲジは、ムカデに近い仲間だが、人を刺したりとあまり悪い事をしない。長い足を多く持っているうえに、結構、すばしっこいから嫌われ者になっているが、家の中のゴキブリやハエなど害虫を捕獲して食べてくれるので益虫と言っていいくらいだ。そう知って、まじまじと眺めると、美しいくらい造形的な形をしていませんか? エッ! そんなことない?



2013年10月27日

こんこんのコーヒーブレイク展に行って


台風一過の気持ちよく晴れた空の下。「こんこんギャラリー」のゴーヒーブレイク展2日目である。顔見知りの人たちが、あちこちで忙しそうに働いている。今日だけは、いつもの創作活動とは違って、大人も子どももお祭り気分で楽しんでいる。美味しそうなメニューが、ずらりと並んでいて目移りがする。結局、僕はサーモンと小松菜のキッシュにリンゴのタルト、コーヒー、それに裏庭の石釜で焼いたきんぴらごぼうのピザを注文した。じつに美味しくて楽しい雰囲気である。出来たら、こういう催しを度々オープンして欲しいが・・・、(それは無理か)
 昼頃、ペトランのTさんがフランスパンをどっさり焼いて持ってきた。みるみる間に客の列が出来て、のんびりコーヒーを飲んでいる間に、お目当てのカンパーニュが売り切れてしまいそうで気がきでない。何とか1個ゲットできたので、帰ってから食べるのを楽しみに筑波山へ仕事に向かった。

2013年10月23日

屋根の上で

庭のカツラの葉も、だいぶ黄色くなって来た。ピーのやつ、朝ご飯を食べた後、姿が見えないと思っていたら、屋根の上で紅葉見物していた。でも、まだ時期がちょっと早い。もう少しすると真っ黄色になり、辺りに落葉が甘い香りを漂わせるようになる。


2013年10月18日

おばあちゃんの注連縄づくり

 一昨日、里山建築研のスタッフと一緒に、近所のおばあちゃんから注連縄づくりの話を聞いた。おばあちゃんは、物置の軒先で稲藁を一本一本選んで束にして、それを茅葺き屋根の土間に座って手編みする。編まれた注連縄は東京浅草の浅草寺(観音さま)にかけられると言う。注連縄用の稲は、お米を収穫する普通の稲とは品種が違う。すらりと長身で色も浅葱色、良い香りがする。スタッフの一人がそっと撫ぜながら「乙女のストレートヘアーみたい」と言っていた。おばあちゃんに縄を編むところを見せてもらった。おばあちゃんの手からは、みるみる間に、美しくて清々しい注連縄が生まれてくる。
 お正月に、浅草寺に初詣に行かれたら、そのお堂をめぐっている注連縄が、八郷の茅葺き民家の広い土間で、おばあちゃんのしわくちゃな手で編まれたものである事を思い出して欲しい。


2013年10月16日

台風で倒木


台風も去ったので、午後から里山建築研の人たちと八郷を回った。途中、昨夜の台風で多数のヒノキが倒れている林に出くわした。何十本のヒノキが根こそぎ倒れて、無惨な姿を晒していた。高台の斜面だから、風当たりが特に強かったのだろう。それにしても、見ると根が平たく広がっているだけで、深さは30センチぐらいしか無い。無理な地形のところに、根張りの浅い針葉樹を密植して、その後の手入れを怠った結果だろう。
 こんなことは、今、日本中の森で起きているのに違いない。

2013年10月15日

庭先に謎の物体が落ちていた

  外出から帰ったら、庭先に変なものが落ちていた。薄いパラシュートに破裂したゴム膜、それらと紐で結ばれた白いプラスチックの箱である。箱にはアンテナのようなものが付いている。どうやら、誰かの落とし物やゴミではなくて、空から降りて来たもののようである。恐る恐る拾ってみたら、「気象観測器」とか、「防衛省陸上自衛隊」とか書かれたラベルが貼ってある。中身を見たら、確かに気圧を計る円盤のようなものと、電波発信の電子基盤や注水電池が入っている。まだ、電池は温かい。たった今、落ちて来たばかりのようだ。「危険物ではありません。既に測定は終わったので拾った人は捨ててください」とも書いてある。子どもの頃、気象観測のラジオゾンデが揚げられているのを知って、いつか、その落下したのを拾いたいと思っていたが、まさか、この年になって夢がかなうとは思ってもみなかった。それにしても、恐ろしい秘密兵器や高放射能のUFOからの落下物ではなくてよかった(笑)。

2013年10月7日

ブルーの木の実

 

 小屋の入口の両脇に、サワフタギの株がある。毎年、春に繊細な白い花を咲かせ、初夏には、ホタル蛾の幼虫が鮮やかな色を楽しませてくれる。また、今頃の季節に、青い小さな実をたくさん付ける。その実の色から、ルリミノウシコロシの別名がある。野山では、鮮やかなブルーの果実が少ないためか、とても良く目立つ。そういえば、今頃、クサギも鮮やかなブルーの実を付けているはずだ。
気持ちの良い季節でもあるし、瑠璃色の実を探しながら散歩でもいかがでしょうか?


2013年10月5日

『こんこんギャラリー』にて

  今日、3日から「こんこんギャラリー」で開催されている企画展『つむぎのしごと wata-oni works』をのぞいた。Oさんから、実際に真綿から糸を紡ぐ様子や、それを地機で織る様子を実演していただきながら、詳しい説明を聞いた。糸を紡ぐ作業から織物にするまでの工程は、繊細かつ根気のいる手仕事の連続である。また、織り機が先人たちの努力と工夫の塊であることも知った。これでは、紬の着物が高価なのももっともだ。説明の中で、糸を紡ぐとき、指先を水などよりも唾液で濡らすのが、糸に張りが出て良いのだと聞いて、あの着物の一本一本の糸は、女性の唾と指先に触れて生まれたのかと思うと感慨深かった。ところで、年齢や容姿による違いはあるのかについては聞き忘れたが(笑)。


帰ろうすると、Oさんのご主人のN氏が、裏手に面白いものが見つかったという。この辺は、南斜面の高台で古代人の遺跡がいくつも発見されている。案内されて行くと、竹薮にぽっかり入口らしいものが開いていた。そばに「謎の住居跡入口」との看板が立っている。中に入ると、狩猟した動物の貯蔵庫らしい部屋や寝室、来客用の部屋まである。何と!一番奥には、天国か地獄か知らないが、何処かへ続く階段まである。さすがに、この先進んだら、もうこの世に戻って来られない予感がしたので、僕は行かなかったが、「こんこんギャラリー」に寄られた際には、是非、訪れてみることを勧める。もっとも、昔、ここに街道(山道)が通っていた頃、ここには塚があって悪戯キツネがたくさん住んでいたので「狐塚」と呼ばれ、通行人を化かしては喜んでいたことを含み置きください。


 

2013年9月24日

五右衛門風呂に入る

午前中にちょっとした大工仕事をやって汗をかいたので、風呂に入りたくなった。そこで、先日のブログに書いた五右衛門風呂を小屋の脇に設置したので、初めてお湯を張って入る事にした。具合は上々である。高さも丁度良いし、水を入れても安定している。給湯器のお湯を台所の蛇口からホースで窓越しに引き込むアイデアもなかなかのものだ。どっぷり自己満足に浸って、いい気分で露天風呂を楽しんだ。
 写真の通り、林の下には村道が通っている。誰かが、僕が風呂に入っているのに気付いたら、ピースサインでもして釜の中から挨拶しようと思っていたが、残念ながら一人も通らなかった。(写真は風呂の中から)


2013年9月23日

夕暮れの散歩







秋分の日の夕暮れ時、爽やかな風に誘われて、近くの田んぼのあぜ道をピーと散歩した。蕎麦畑は今が花盛り。隣の田んぼではもう稲刈りも終わって、ずらりと並んだ稲架に夕方の柔らかな光がそそいでいる。あぜ道の先に真っ赤な彼岸花が一株。その先に筑波山。



2013年9月19日

露天風呂で月見

すっかり秋らしくなった。朝晩、水だけのシャワーでは辛くなってきた。そこで、ガス給湯器を設置して、いつでも温水が使えるようにすることにした。今朝から地元の電機屋さんが工事している。これで、10年に及ぶ山小屋の生活環境の整備は、一応、完了だ。
 おまけに、先日、タイミング良く庭先に転がっていた五右衛門風呂を貰ってきた。ホースでお湯を導けば、これからは露天風呂も楽しめる。もう少しすると、庭の紅葉や名月を眺めながら風呂にも入れる。少しヒノキの枝を払えば、風呂から筑波山を眺めるのも夢ではない。僕もピーもすごく楽しみにしている。ピーなどは、待ちきれず今から風呂釜の上に陣取っている。




2013年9月16日

台風一過の空

台風が過ぎ去った。夕暮れの空に雲。子どもの頃から、「雲」が一番好きだった。「雲」を見に遠くまで電車に乗って出かけたこともある。


外は大雨、風鈴は滴丁東

先ほど、台風の雨と風の中、流山から山小屋へ戻った。夕べ一晩中、ピーは一人で留守番だったから、僕が戻ったのが嬉しくて、足に纏い付く。どうせ、外は大雨だしと、ご飯を食べた後は、ずっと窓辺で昼寝ばかり。ときどき、片目を薄く開けて、僕がいるのを確かめている。写真を写そうとして近づいたら「うるさい」と文句を言われた。


 台風の残り風で、軒下の風鈴がしきりに鳴なっている。丁度、今読んでいる本に、こんな如浄禅師の「風鈴の偈」が載っていた。

  渾身似口掛虚空
  不問東西南北風
  一等為陀談般若
  滴丁東了滴丁東