2014年12月26日

バードテーブルを作る

 
 忙しかった12月も一段落したので、庭の陽だまりでお茶を飲んでいた。頭上に、小鳥たちの群れがやってきて、枝から枝へと鳴き交わしながら飛び回る。エナガやコゲラなどが、すぐ近くで、しきりに餌を探している。エナガは頭をさげると頭上の白い部分がチラリと見える。コゲラの鹿の子模様がオシャレだ。まったく、彼ら(彼女ら)は、森の妖精のよう。実に可愛い。

 ちょうど、クリスマスでもあるし、彼らにバードテーブルを作ってやることにした。これから本格的な冬を迎えるにあたって、いつでも僕の庭に来れば食べ物があると思って欲しいのだ。ぜひ、多くの仲間と一緒に来て欲しい。
 しかし、僕のところには、「猛獣の」ピーがいるし、近所のネコも出没する。そこで、ネコらの手が(足が)届かないように、金棒の先にテーブルを載せることにした。自分では、うまくいったと思っているが、果たして、小鳥たちに気に入ってもらえるか、ネコが諦めるか、もう少し経たないと判らない。


2014年11月20日

「猫バカ」のこの頃

幼いピー
  このごろ寒くなったので、ピーのやつ僕のベットに潜り込んで寝るようになってきた。腕を伸ばすと、それを枕にして寝る。自分の祖先は、野生の動物だということもすっかり忘れて熟睡している。まじまじと顔つきを眺めてみると、5年前の幼かった頃の面影がどこかに残っている。右左の瞳の大きさが違うのは、4年前に右目を怪我してから瞳孔がある程度しか小さくならないからだ。猫好きは誰でもそうだろうが、自分の猫が一番可愛くて利口だと思っている。僕も例にもれず、心底、ピーは最高な猫だと思っている。第一、呼ぶと返事をするし、話しかけると相槌も打つ、それに未だかつて僕に反抗したことがない。いつも元気で病気したことがない。そして、僕以外の誰にも馴れない・・・・。 ← もう、完璧な「猫バカ」だ!

現在のピー


2014年10月26日

カツラの落ち葉


 先日、小屋に来た客が、「いい匂いがする。何だろう?」と言っていた。今頃の山小屋はこの匂いで包まれる。香ばしい醤油せんべいのような、キャラメルのような、ある人はチョコレートのようだともいう。その元は、カツラの落ち葉である。秋になると黄色に紅葉して、やがてハラハラと落葉する。この落ち葉から懐かしい甘い香りが立ちのぼるのだ。カツラは方言で「コウノキ」、「マッコノキ」とも言って、青葉を乾燥させて粉にし抹香として使った。春先の可愛いハート型の若葉から秋の紅葉、甘く薫る落ち葉、すくすく伸びる涼しげな樹形、そして、不思議な形の花と果実・・・、材としても木目が綺麗で耐久性があり優秀だ。こんなカツラは僕の大好きな木であるが、難点はただ一つ、成長が早くてすぐ大木なることだ。都会の庭に植えたら、あとで後悔することになるだろう。カツラを庭に5本も植えられるのは、やはり田舎に暮らす者の特権だ。

2014年10月17日

『易』に凝ってます(笑)


 このところ、出かける時、バッグに岩波文庫版の『易経』を忍ばせている。ちょっとした隙間の時間に、パラパラとめくって、目が止まった所を読む。何しろ3千年も前の古代中国の古典だからひどく難しいが、現代語訳をたよりに、何とか意味をくみとり、現代を生きている自分の生活に当てはめて、あれこれと勝手な解釈を試みている。退屈しのぎにはなる。「あれをするのは凶」、「こちらの方角は吉」、「こうすれば可」。まったく「論理的」では無いが、妙に引きつけるものがある。それは、東洋人である僕の心の奥のまたその奥に、易の哲学と共振するものがあるからなのだろう。あるいは、この年齢になると、自分ではどうにもならない何か大きなものが、人生を支配していると薄々感じ始めるようになったからだろうか。ユングの共時性から出発して、『黄金の華の秘密』、そしてとうとう『易経』まで流れてきてしまった。これから、どこへ行くのやら(笑)。
写真は、八卦が簡単に占える八面体サイコロと六爻を示す六面体サイコロです。

2014年10月6日

台風の後

 八郷は盆地だが、小屋のある青柳集落は、またその中の小さな盆地。真ん中を、初夏にゲンジボタルが飛び交う青柳川という小川が流れている。その川が、台風の雨で溢れて、周囲の田圃を水浸しにした。先ほど、雨が小降りになったので見に行ったら、普段は田んぼだったところが一面の水原となっていて、それが両側から狭まった集落の入口に集まり、濁流となって出て行く。すこし先では、土手が崩れて道路を塞いでいる。近所の人が、こんなことは滅多に無いからと携帯で写真を撮っていた。僕もここに来て初めての光景である。もちろん、少し高台にある僕の山小屋は何ともない。
 今12時45分。日差しも出て来たので、午後からは土砂崩れの現場を迂回すれば出かけられそうだ。



2014年9月9日

ジャカモコジャン


 中秋の名月の昨夜、八郷柿岡の八幡宮で神楽が奉納された。これは「八幡宮太々神楽」というもので、地元では「十二面神楽」とか「ジャカモコジャン」といっている。文禄4年(1595年)に佐竹の長倉義興が柿岡城主になったとき、奉納したのが始まりといわれている。昔は、周辺の旧八幡町に永住する長男だけしか参加出来なかったそうだ。
 

 神楽は、午後7時から始まり、11時過ぎまで続く。その間、ずうっと八郷盆地に、「ジャカモコジャン」と笛太鼓の音が響き渡るのである。昔の人は、秋の夜に遠くから聞こえてくるこのリズムに心を躍らせたのだろう。そして祭の名前になった。
神楽は、十二の面にしたがい、国堅、老翁、種稼・天狐、龍神、地法・赤鬼、神酒の舞、西宮大神、鈿女、岩戸、戸隠、猿田彦、山の神と、神話の世界を舞う。舞いは、威厳に満ちて品格があると思えば、ある場面ではユーモラスであったりエロチックであったりと、長い時間にもかかわらず飽きることはない。いつの間にか、古代の人々と一緒に楽しんでいる気分にすらなる。


 この祭のもう一つの主役は、子供たちだ。神楽の間に、着飾った10歳前後の少女たちによる神子舞が三回ほど挿入されて彩りをそえる。この小さな巫女たちは、実に可愛い。4時間もの長い神楽の間、舞台の上でずうっと座って自分たちの出番を待っている健気さには感心した。終わり近く、思わず居眠りがでてコックリしはじめたのも、また、可愛い。大人だって、あの神楽のテンポとジャカモコジャンの中に4時間も浸っていれば眠くなる。舞台の脇では、小さな女の子が、天照皇大神の動作をまねて一緒に踊っていた。老翁が印を切った様子を見て、男の子が「ママ!おじいさんが投げキスをしてるよ」を話しているのには、微笑ましかった。今夜、この子供たちの、心の奥深くには、きっと何百年、何千年も続いて来た「ジャカモコジャン」のリズムが刻まれたことだろう。それが、大切なのだ!




2014年8月31日

仙人への修行

 


たびたび僕におこる偶然の出来事について知りたくて、心理学者のC・G・ユングの共時性原理の本を読んでいたら、彼とR・ヴィルヘルム著の『黄金の華の秘密』という本と出会った。これには、『太乙金華宗旨』と『慧命経』が収められている。『太乙金華宗旨』は、少なくとも8世紀以前に遡る秘密の教義であり、一口に言えば道教の瞑想法のテキストである。これに従って真剣に鍛錬すれば、仙人にもなれるらしい(笑)。もともと、こういうのは嫌いではないが、読み進んでいくうちに、面白くなってどんどん引き込まれて、昨夜などは途中で止めて寝るのが惜しいくらいだった。前半のユングによる「ユーロッパの読者のための注解」などは、欧米のキリスト教的な合理主義がもたらす危険性を鋭く指摘していて、思わず膝を叩いた。まさに現代的な問題である。今朝からは、いよいよ本編の秘教的な教義の部分に入る。「聞くは千劫に逢い難く、受くるは一時の法会なり」とあるから、心して向かわなければならない。
 朝から、主人が仙人になろうと張り切っているというのに、ピーのやつ、物置の庇の上で気持ち良さそうに寝ている。あいつにとっては、無意識も共時性も秘密の瞑想法もどうでもよいことなのだろう。のんきなやつだ。

2014年8月10日

世界で最もキュートなコンピュータ

台風のおかげで、今日の登山イベントが中止になった。暇である。そこで2本目のブログをアップするのだが、話題はガラリと変わる。
 先ほどから、『ラズベリーパイ(Raspberry  Pi B+)』というイギリス生まれの可愛いコンピュータ(写真のレインボーカラーの小箱)と遊んでいる。実は、僕は、こういう「オモチャ」が大好きなのだ。まだパソコンという言葉が無かった頃から、自分で組み立てたくらいだ。このカードサイズのコンピュータは、れっきとしたLinuxマシンである。だから、インターネットはもちろん、ワーブロや表計算であれ、普通のパソコンができることのほとんどは出来る。MITメディアラボが開発した有名な教育用の言語であるScratchや他のさまざまなブログラム言語だって走るから、自分だけのゲームだって簡単に作れちゃうのだ。しかも、いろいろな機器のコントロールも可能だ。このマシンを幾つもつなげて、スーパーコンピュータを作った人さえいる。これまでに人間は、いろいろな「オモチャ」を作って来たが、これなどは、その最先端のものだろう。本体のお値段は4千円弱と超安価だし、ソフトウエアーはすべて無料である。チョウ暇でお困りの方は挑戦してみたらどうだろうか。(当分遊べるよ、ただし極めるのには一生かかるかも)

秋がやって来た


 雨の合間に、庭に出たらキンミズヒキの花が咲いていた。この花やアキノタムラソウが咲き出し、カツラの黄色い葉や山桜の真っ赤な葉がちらほらと散り始めたのを見て、秋の到来を感じた。キンミズヒキ(バラ科)は、花穂の形がお祝い事に使う水引に似ていて、花弁の色が黄色だから「金水引」。もう少したつと、実のトゲトゲが引っ付き虫になって、子供や動物たちに遠く運ばれる。これに対して、同じような長い花穂を持ち、花を上から見ると赤、下からのぞくと白色というタデ科のミズヒキというのがある。こちらも、今頃から咲き出す。野山は、もう秋の気配。金、赤白、黄色、いよいよ秋がやってきた!・・・今日は涼しいからこんなことを言っているが、まだまだ暑い日が続くことは十分に承知している。



2014年8月3日

真夏の昼の夢

 毎日、暑い日が続く。小屋には、むろんクーラーなど無い。一年のうち一週間のほどの間、真昼の2、3時間を「何とか」過ごせばいいのだ。朝晩は、窓を開ければ、木々の葉で冷やされた涼しい空気が部屋へ流れ込んでくるので扇風機が一台もあれば十分だ。問題の、この「何とか」であるが、方法はいろいろある。例えば、近くの林の中の道を散歩するとか、空調の効いたお店に食事や買い物にいくとか、クーラーのある友人のお宅に遊びに行くとか、この時間帯はピーと一緒に昼寝するというてもある。

 今日の「何とか」の過ごし方は、まず、真壁の橋本珈琲で食事をして、八郷にもどり、柿岡の中央公民館の図書館で過すというものだった。閲覧室は、高校生ばかりだったが、気にすることない。書架から興味のある本を2、3冊抱えて、ゆったりと机に座り、好きなところからページをめくった。静かだし、適度な冷房が効いているし、周りの雰囲気がそうさせるのか本の内容に集中できる。気がついたら閉館近くだった。図書館で過ごすというのは、真夏の昼の過ごし方としては、なかなか良いアイデアだと思うので、ぜひ、皆さんに薦めたい。

 更に、少しばかり我儘を言わせてもらえば、閲覧室はもっと広くゆったりとした空間で、もう少し上等な机と椅子がたくさん備えてあったほうがうれしいし、部屋の広い窓からは自然の外光がふんだんに入り、読書で疲れた目を上げると八郷の美しい風景や緑の木立が眺められたらなおさら良い。そして、コーヒーなどが飲めたら理想的だ。外からの本の持ち込みもOKだ。また、必死に勉強している受験生の邪魔にならず子供たちが自由に遊べるためには、部屋が分かれていたほうがお互いに快適だろうし、友人らと親しく話し合えあえるロビーも欲しい。そうすれば、そこが地域のコミュニュケーションの場ともなるだろう、などなど・・・夢はつづく。

 「図書室とカフェを合わせたような空間 」、「やさと森の図書館」 -------  自治体でも、個人でも、誰でもいいから、こんな場所をつくってくれないかな〜。


2014年7月30日

深夜の来客


 山小屋にはいろいろな客が訪れる。特に深夜になると天使から鬼のようなのまでがやってくる。小屋の灯りに誘われた虫たちである。今夜の主賓はカミキリムシで、捕まえてその顔つきや格好をしげしげと眺めてみると実にカッコいい。図鑑で調べたら、大きい方はシロスジカミキリで、こいつが庭のコナラやクヌギに穴を開ける犯人である。大きいはずだ。シロスジカミキリは、日本に分布するフトカミキリ亜科の最大種だと書いてある。首の後ろをこすり合わせて「ギィギィ」と騒ぐ。小さい方は、どうやら「矢筈天牛」のようで、何と読むかはクイズだ(笑)。彼らは、僕が大切している木々の敵なので、即刻処刑してやろうかと思ったが、あまりに立派な姿なので迷っている。明日まで執行猶予とする。


2014年7月15日

ヤマユリの道


 今頃の時期、小屋の下の道は「ユリ街道」になる。道を歩くと甘い濃厚なヤマユリの香りに包まれる。特に、風の無い夜など散歩すると、なおさら強く感じられる。この杉林の中には、苔むした古いお墓がある。小屋を建てた頃、墓石のあたりで闇の中に白いものがぼんやりと浮かんでいるのを見てドキッとしたことがあった。その正体は大株のヤマユリの花だった。また、少し前になるが、やはり夜の散歩をしていたときのこと、この道の向こうからLEDの懐中電灯を持った人がやって来た。近づいたら挨拶しようと思ったら、突然、青白い光はスウ〜ッと空中に舞い上がり、やはりお墓の方に消えていった。この時も驚いたが、すぐにゲンジボタルだと気がついた。暗闇の中に一匹だけ光るゲンジボタルは、思いのほか大きく見えるのである。
 話をユリに戻すと、ヤマユリは、日本固有の植物で、その豪華さは世界に誇れる花である。万葉集にも歌われていることから、昔は筑波山塊にはたくさん生えていたようだ。現在のように少なくなった主な理由はイノシシの食害によるものと思われる。お願いだから、イノシシのマネをして、少なくなった野生のヤマユリを盗掘するのは止めて欲しい。



2014年7月10日

台風の来ない間に


 いや〜、忙しかった。先月は、筑波山ビジターセンタから始まり、ずっと忙しくてプログを更新する余裕が無かった(言い訳です)。やっと、少し落ち着いたので、前から気になっていたジャガイモ掘りを敢行した。心配していた通り、幾つかは腐り始めていたが、僕が山小屋で食べる一年分ぐらいは収穫出来た。ジャガイモは、他の野菜とは違って、手元にたくさん蓄えがあると何故か安心する。この安心感は、「ジャガイモさえあれば、他に何も無くてもお腹がいっぱいになる」というような思いが、心のどこかにあるからかも知れない。それに、長期の保存もできて、様々な料理に使えて美味しい。

 ジャガイモ掘りが終わって、小屋の入口まで行ったらヤマユリが見事に咲いていた。このユリは、昨年までこんなにたくさん蕾を付けていなかったが、今年は7つもある。記念写真を写してあげようとカメラを構えても、台風からの風に煽られて、なかなかじっとしていてくれない。

追伸:
 こんこんギャラリーへ行って小屋に戻ったら、例のヤマユリが倒れていた。次第に強さを増して来た台風の風に抗いきれなかったのだろう。可哀想に、まだ、咲いていない蕾が3っもあるのに。そのままにして置こうか? それとも切り取ってきて小屋に飾ろうか?




2014年6月19日

ピーのガールフレンド

近頃、たびたび庭で美しい白猫を見かける。どうやら、お隣の若いメス猫(たぶん)のようである。ピーに気があるらしく、近くまでやって来ては甘い声で鳴いている。ピーも、まんざらでは無いらしく、僕と話すときとは違った優しい鳴き声で答えている。それも、ぼくが邪魔をしない限り、二匹はいつまでも続けているのだ。何をささやき合っているのか理解出来ないが、だいたいの想像はつく。ピーに可愛いガールフレンドが出来たことが嬉しい反面、人間の勝手でオス猫の能力を奪ってしまったと思うと申し訳ない思いがする。
 彼女のプライバシーを考慮して、写真はボカしてあります(笑)。


2014年6月3日

テイカカズラが花盛り

昨年、上の土地に家が建つので庭の脇の林道が広げられた。それで奥まで陽が射し込むようになったせいか、コナラの大木に巻き付いたテイカカズラが、びっしりと花を咲かせた。この花は面白い形をしている(果実も面白い)。薄いクリーム色の5枚の花弁がねじれたプロペラのような形をていて、ちかづくとジャスミンのような甘い香りがする。深い緑色をした葉との対比が、なかなか美しい。そのせいか、昔から日本人に愛されてきたようで、古今集には「まさきのかずら」の名前で登場するし、「定家葛」の名前は、藤原定家の式子内親王への執心めいた恋物語に由来する。その物語はちょっと気持ちが悪いところがある話だから、ますます好きになる人と嫌いになる人がいるかもしれない。以前、僕は陶芸美術館で、この花をモチーフにした富本憲吉の作品にえらく感じ入ったことがある。彼は、創作に行き詰まって帰郷していた時、自宅の庭でこの花と出会って、新たなインスピレーションを得たそうだ。


2014年5月31日

また、ピーにイスをとられた


 ネコは快適な場所を探す天才だ。つい先日までは、小屋の中の長椅子を僕と取り合っていたが、最近はもっぱら庭に置いたイスを自分のものだと決めたようだ。草刈りして、気持ち良さそうな空間ができたので、ここにイスを置いて木漏れ日の下で読書やうたた寝をして過ごすつもりであったが、たちまちピーに占拠されてしまった。あいつは、一晩中、外で遊び回って朝帰りした後、昼間はこのイスの上で眠ることにしたらしい。追い出せばいいのだが、ピーにからきし弱い僕にはそれが出来ない。


2014年5月11日

見上げるとハクウンボクの花

山小屋を建てた頃に植えたハクウンボク。もう、とっくに屋根の高さを越える大きさに育った。ふと、見上げると大きな丸い葉の間にたくさんの花が咲いていた。名前の「白雲木」に相応しく、真っ白い花の塊が緑の中に浮かんでいる。この木は、野生の木の中でも美しい花を咲かすトップクラスだろう。エゴノキの仲間。



2014年5月9日

雨上がりの夕暮れ


風雨も上がって、集落はひんやりとした澄んだ空気に包まれている。ピーと下の道に出たら、いま太陽は風返峠の向こう側に落ちたところ。夕暮れのやわらかな光が新緑の山を照らしている。植えたばかりの田んぼに筑波山が映っている。散歩していたお隣のご夫婦と、今年のヤマユリの芽出しの様子や盗掘防止策を立ち話した。平穏な山里の風景。僕の大好きな時間。


2014年5月3日

ほぼ一週間後のホオノキ

 この間の植物たちの変貌ぶりは、すさまじい! 前回(4/23)と同じ枝を同じ場所で写した写真。間もなく、山小屋は緑の陰の中に沈み込む。


2014年4月23日

ホオノキの芽吹き

もう一つ、今朝の庭で見つけたもの。ホオノキの初々しい若葉。
(クリックして大画面で見て欲しい)



今朝の庭を歩いて


 庭のテーブルとイスが、誰かが座るのをじっと待っている。今が、最も快適な季節だと言うのに猫のピーの外には誰も来ない。いっけん外国のような光景だが、それも今のうちだけ。もうすぐすると、雑草に覆われ、蚊が飛び交って、やはり、ここが高温多湿の日本であることを思い知らされる。


 昨日の夕方、庭を歩いていたら甘い香りが漂っていた。その時は、何の花からか思いつかなかったが、今朝になって、香りの源を見つけた。ダイオウグミである。無数の小さな目立たない花が咲いていて、何匹ものクマバチがあちこち飛び回りながら夢中になって蜜を集めていた。ブンブンという羽音が辺りに響いている。





2014年4月14日

眠い景色

山小屋の入口にて
春だから、しかたないのもしれないが、景色がどことなく眠い。この2、3日で、集落の裏山は、コナラやクヌギの新芽で染まり始めた。山肌に点在する淡いピンクの塊は山桜の花だ。遠くから、農作業するトラクターの音が聞こえる。

2014年4月6日

スミレの花























小屋の雨樋も掃除しないでいると、ヒノキなどの落ち葉が詰まって、大雨の時など雨水が漏れ、大きな音を立てて落ちる。でも、悪い事ばかりではなさそうだ。今朝見たら、落葉が溜まってできた腐葉土に、一株のツボスミレが根付いているのを見つけた。健気にも可愛い花を咲かせている。小さな白い花弁の中に、紫色の筋がくっきりと描かれている。今日の夕方も春雷が来そうなので、掃除しようと思ったが、スミレはたくさんの蕾を付けているので止めにした。


2014年3月29日

咲いた、咲いた庭のシダレサクラが咲いた


 今年も、庭で初めて咲いたサクラは、この枝垂桜である。昨日はまだ蕾だったのに、先ほど見たらたくさん咲いている。これは、数年前に、Sさんが、福島県三春から滝桜のクローン苗を持って来て僕にプレゼントしてくれたものだ(Sさん、そうですよね)。昨年は、数個のみだったが、今年は、100個以上も花を付けている。萼の基部が、ひょうたん型にぷっくりと膨らんでいて、エドヒガン系だと判る。花弁の色も赤味が強くて美しい。まだ、樹高が数メートルの若木だが、すでに四方に風情ある枝を垂らし、将来、八郷の名木となりうる気品と風格を感じさせるものがある。植えている場所は、庭の上部中央である。あと、100年もすれば、集落の何処からも見えるようになるだろう。そのとき、里の人から何と呼ばれる桜になるのだろうか。(こういうのも、「親バカ」と言うのだろうか?)


2014年3月26日

気持ちいい日差しの下で

昨日に続いて、ジャガイモを植えた。その間、ピーのやつ、庭のテーブルで、ずうっと昼寝をしていた。今日は薄曇りで風も無く、春の暖かな日差しが優しく庭を照らしている。たしかに、気持ちが良さそうだ。早く植え付けを終わらして、僕も仲間に入れてもらおう。


2014年3月25日

グリーンのバラ

 先日、神生バラ園に行ったら、淡いグリーン色のバラが飾ってあった。赤やピンクの色鮮やかなバラの隣で、独特の存在感を醸し出している。気になったので、何と言うバラか聞いてみたら、「ミントティー 」という名前だと教えてくれた。なるほどと納得するネーミングだ。なお、このバラは素晴らしく花持ちが良いという。弱っても花弁がハラハラと落ちない。驚いたことに、別の花瓶のものは、昨年の11月から飾ってあるものだという。僕がよほど欲しそうな顔をしていたのかもしれない。1本をいただけることになった。早速、オールド・コカコーラ瓶に生けて山小屋のテーブルに飾って、毎日眺めているが、それ以来、ずっと変わらず生き生きとしたままである。この状態が、いつまで続くのか楽しみである。誰かに見せて自慢したいのだが、今のところ誰も来ないのでブログにアップする事にした。


2014年3月17日

可愛いツバキの花たち


 冬枯れで寂しかった庭にいろいろな花が咲きだした。鮮やかな黄色のフクジュソウに続いて、サンシュウが咲いた。今度は、ピンク色の侘助椿が、一斉に咲き出した。庭も、だんだんと日増しに華やかになっていく。ツバキは僕の好きな木だ。早春の薮陰にひっそりと真っ赤な花をつけているヤブツバキを見かけると、こんな美しい花が野山に咲いている日本の自然は本当に素晴らしいと思う。ヤブツバキが大人の女性だとすると、このピンクの侘助椿は可憐な少女である。彼女たちは、春が来た喜びをぺちゃくちゃと皆で語り合っている。



2014年3月9日

雑木林の拡大

 

 これまで庭の南半分はクズの生い茂る原野であったが、本日、その一部にクヌギ8本、コナラ8本を植えた。小面積であるが我が雑木林の領土を拡大した。今後、再びクズやセイタカアワダチソウ、カナムグラなどの野蛮な輩に奪還されないように、堅固な意思と強力な防衛能力を持って臨むつもりである。

庭のフクジュソウ


 朝、小屋を出ようとしたら、庭の片隅にフクジュソウが咲いているのを見つけた。2、3日前から咲いていたのかもしれないが、この花は、曇っていたり辺りが暗くなると閉じてしまうから、朝出かけて夕方帰る生活で気が付かなかっただけかもしれない。まだ、サンシュウは蕾のままだから、これが山小屋で春になって一番最初に咲いた黄色の花だ。
 たしか、この花は、ずうっと以前に故郷の実家から株分けして植えたものだ。しかし、花が咲いている期間を過ぎると葉ばかり繁ってつまらない姿になってしまうので忘れてしまう。そして、又、この季節が巡ってくると、実家で過ごした日々を思い出させるために咲く。



2014年3月7日

新しいブログを開設しました

 近頃、徐々に春めいてきました。それに伴い、野山を歩き回ったり、車で外出する機会が増えてきました。そこで、これからは歩き回った記録や写真を中心とした『筑波山塊を歩く』と、木守小屋での暮らしを中心とした、どちらかと言うと立ち止まった記事の多い『木守小屋から』の二本立てとします。どうぞ、これまでと同様に、気が向きましたら覗いて下さい。

『筑波山塊を歩く』のURLは、 http://ramunos2.blogspot.jp です。
よろしくお願いします。




2014年3月1日

雨の日の「塗り絵」

八郷の田んぼ
雨の一日、先日の池田先生のマネをして、五万分の一地形図の田んぼ部分を色鉛筆を使って黄緑色に塗りつぶした。まるで、小学生の塗り絵だ。それが、描き始めたら、面白くてオモシロくてたまらないのだ。気が付いた時には、脇に置いたコーヒーはすっかり冷えてしまっていた。色鉛筆の先端が友達の家を見つけたり、「これだけの面積で集落が食っていけるのだろうか」とか、細かに入り組んだ谷津では「確か、ここの池にはイモリがいた」なんてつぶやいたり、変な記号を見つけては思い当たるものを考えるなど・・・、時間が過ぎるのも忘れてしまう。少し離れて眺めると、田んぼの広がりが、大地に根を張っている巨木ように見えて、これはこれでたくましくて美しい。周囲の山に降った雨が、この小川を流れて田んぼを潤し、やがて一つに集まって恋瀬川となって霞ヶ浦へ下るなんていう想像は眠れない夜には有効かもしれない。(ただし、深入りは逆効果)
 この「塗り絵」は、退屈で死にそうな人や、疲れて落ち込んでいる人には効果的だと思われる。お試しあれ。「自分は元気だし、そんな暇人じゃない!」。あぁ、それは、それで結構。

 さらに、池田先生から教えてもらったことは、山根盆地(八郷盆地)の低地(田んぼ)がこんなに広いのは、砂や泥が厚さ100mも積もった堆積盆地だから邪魔する岩が無くて小川が楽に流れを変えることが出来たからだということ。また、川又・半田付近に峡谷(狭窄部)があったので、「2万年前の海面低下期に、恋瀬川の河床は高浜では今より20mも下がったのに、川又の岩の河床が浸食されなかったために」これが、いわば自然のダムとなって、これより上流である八郷盆地の「低地の土が保全された」とのことである。そして、このメカニズムは、京都盆地や奈良盆地と同じだそうだ。そう聞けば、八郷の風景が京都や奈良の風景とよく似ている理由が納得できる。きっと、風水では、このような地形を優れているというのだろう。


2014年2月24日

異形人形を訪ねて


右が異形人形、左奥が古墳
先日のジオ・バスツアーで石岡市関川地区を通り掛かったとき、道路脇に異様な人形を見かけた。一緒に参加したIさんも気なったようで、その後、さっそく現地を訪れて、そのレポートがブログ『八郷の日々』に掲載されている。僕も、この異形人形の正体が知りたくて、今日、現地に向かった。厚かましくも、集落の住民を捕まえては、この人形の名前と役目を聞いて回った。多くの人は「オオニンギョウ」と呼んでいた。ダイダ?集落のおばあちゃんだけが、昔は「ダイダラボッチ」と呼んでいたと言っていた。どの集落も、毎年8月16日に、新たなものを作って交代するという。人形の役目は、村境に立っていて、村に入ってくる疫病や災いなどの悪霊を撃退するのだと。どおりで、太刀を腰に差し槍を持っている厳めしい武者の姿をしているはずだ。恐ろしければ恐ろしいほど効き目があるという。一時期、中止したら、村の若い人に不幸が多発したので、再び祀るようになったそうだ。
 小屋に戻ってから、藤田稔の『茨城の民俗文化』(茨城新聞社 2002)を見たら、この人形に似ているものとして「大助人形(おおすけにんぎょう)」というのがあった。北浦町南高岡では、二体のわら人形を村境に立て、疫病神が村に入るのを撃退してもらうと言い伝えられている。また、那珂郡大宮町では、毎年7月十日夕刻、麦わらで人形をつくり、厳めしい武者の顔を描いて、腰には茄子のつばをつけた竹刀を腰に差し、トウモロコシの葉でたすきをかける。懐に小麦まんじゅうを入れて、子供らが「おー鹿島のおーたすけ、鬼に勝ったみーさいなー」と叫びながらこの人形を村はずれに運ぶそうだ。これらは「鹿島信仰が農村の習俗と融合して、厄難除けや豊作、豊魚の神、安産の神として、庶民生活の中に浸透していった」ものだと説明されていた。おそらく、関川の異形人形も、この流れをくむものだろう。
 現在、関川地区では、隣接する四集落(長者峰、ダイダ、他2つ)だけが祀っている。この四体を見て回ったが、あるものは巨大な藁の金精様を持っていたり、真っ黒な顔に赤い隈取りなど、表情や造りが微妙に違う。集落で強さや恐ろしさを競っているかようだ。あるお宅では面白いものがあるからといって案内してくれたところには、前方後円墳の脇に立派な石の金精様が鎮座していた。古墳群、金精様、鹿島信仰、長者峰・ダイダという地名、オオ氏一族、そして異形人形・・・この地域には、現在でも日本のプリミティブなものが健在しているようで嬉しかった。


2014年2月23日

盆地の中の隠れ里


 山根盆地(八郷盆地)自体が隠れ里である。その中でも、最も「隠れ里」らしい集落が、Mである。足尾山麓の東斜面に張り付くようにしてひっそりと佇んでいる。集落の中を流れる沢が、前面に広がる谷津の田んぼを潤す。この隔絶したような土地が故に、子どもたちは学校でバカにされたと聞く。
 前々から関心があったので少し調べてみた。やはり、ここはタダモノでは無い。地名Mの初出は、戦国期の文禄五年(1596)の『御蔵江納帳』で、『八郷町誌(1970)』によれば「宇治会館の領主であった路川氏が、佐竹に追われて足尾山麓に隠退した」ところとある。なぜ追われたかというと、路川氏が、敵対する小田氏と同族である宍戸氏の一族だからだ。この地も八郷に多い室町時代の合戦の記憶をかすかに留める場所の一つである。こうした歴史を証明するかのように、わずか十数戸の小集落の中に、地方にしては珍しく本格的な建築である長樂寺がある。この寺は、寺伝や寛永十年(1711)の鐘銘によれば、なんと創立は天長元年(824)であるというから、もしかすると、この集落は、はるか戦国時代を越えて、さらに古い歴史を持っているのかもしれない。

石垣に寄りかかって休んでいた地元のおばあちゃんに、お寺の場所を聞いたら丁寧に教えてくれた。その通りに杉木立の間を進むと、突然、華麗ともいえる本堂が現れた。まだ、先日降った雪が残っていて、反射した光が庇の見事な彫刻を明るく照らしている。辺りの凛とした空気が寺をすっぽりと包んでいた。

2014年2月21日

「八郷湖」の砂浜


 昨日の石岡市ジオツアーはとても面白かった。いまだに、池田宏先生による名解説の余韻が残っている。また一つ、山根盆地(八郷盆地)を見る目に新たな視点が加わった。
 今日、水戸の歴史館に行った帰り、南山崎の交差点に差し掛かった時、ふと昨日の先生の話を思い出したので、車を路肩に止め降りて周囲を眺め回した。傾きかけた陽の光が、小麦畑を照らしている。畝のカーブが、台地の緩やかな起伏を際立たせている。八郷は、山麓の風景もいいが、このようなたわやかな丘の風景も美しい。
 先生によると、この標高30〜40mの台地は、「世界の海面が高まった12万年前の温暖期(最終間氷期の下末吉海進期の古東京湾時代)には、竜ノ口から南山崎の1kmが八郷の入り江「八郷湖」の湾口で、当時の八郷盆地は今の浜名湖のようだった」という。そう聞いて、改めて眼前に広がる丘をじっと眺めていると、麦畑が広い砂浜のように思えて、遠くの方から打ち寄せる波の音が聞こえてくる・・・。えっ!何も聞こえない? それは、あなたが、昨日のジオツアーに参加しなかったからです(笑)。


2014年2月15日

石岡市小幡窯跡(仮称)

昨夜からの変な天候のせいで、今日行われる予定だったイベントが延期になった。ポッカリ空いた一日。何をしようかと考えたとき、思い立ったのが、現在、ひたちなか埋蔵文化センターで開催されている「須恵器展」である。この展示には、一昨年の夏、僕と友人のY氏が、小幡地区で偶然に見つけた窯跡が紹介されているはずだ。
 会場では、ガラスの向こうに、綺麗に洗われた須恵器片と解説パネルが展示されていた。解説を読むと、これは8世紀末から9世紀初めのもので、研究者が「新治窯胎土B類」と呼んで、長い間、生産地を探していたものかもしれないとある。もし、そうなら当時の八郷には、古代道や恋瀬川の水運を利用した高度な技術文化が存在した事になる。早く研究結果が知りたい。まだまだ、八郷には多くの謎が眠っている。実に不思議なところだ!
 それにしても、何故だか、僕は第一発見者になることが多い。植物もそうだし、この遺跡もそうだ。しかし、警察管轄の「あれ」だけは、もう御免蒙りたい。


2014年2月10日

まだ、閉じ込められている → 脱出成功!


午前11時50分。まだ、出口の坂が半分ほど凍っている。車で突破する勇気がないから、いまだに小屋に閉じ込められたままだ。ピーは、溜め息をつきながら(?)窓枠の上から外ばかり眺めている。僕は、もう、朝からコーヒー2杯目。

午後2時25分。無事、脱出成功! 嬉しくなって、そのまま走ってガソリンを満タンにして来た。明日の朝は、また道がガラスと化するので、用心して車は坂の下に止めておいた。お祝いに、これから3杯目のコーヒーを飲むことにする。


2014年2月8日

雪、こんな日は読書に限る

  夕べからの雪で、小屋に閉じ込められている。こんな日は、読書に限る。それも『辻まこと』がぴったりだ。彼は、「世に広く知られた人物ではなかったが、知る人ぞ知る。只者ではなかった。両親は辻潤と伊藤野枝、幼くしてフランスに渡るも、帰国してはこれといった定職に就かず、自由に絵を描き、エッセイも書き。風刺的画文をものにし、スキーと岩魚釣りの名人にしてギターをよく弾いたがいずれも余技の趣き、一個の専門家ではなかった」が、いずれも達人のレベルだ。誰かが言っていた。彼のエッセイを読んだら、他の人のエッセイは「銀行の帳簿」みたいだと。彼の話に、誰もが聞き入った。彼の人柄に、誰もが魅せられた。僕と彼との出会い(書物の上で)は、もう、40年以上も前のことだが、やっとこの歳になって、彼の魅力溢れる自然人・自由人の世界が、少しづつ見えるようになってきた。薪ストーブの側で、膝にピーを乗せてコーヒーを飲みながら「辻まこと」の世界を彷徨うのがこれからの人生の楽しみである。

 今日のような天気の日に相応しい1ページを紹介する。写真をクリックして大きくして読んで欲しい。「雨」を雪に変えて。





2014年2月6日

真壁の雛人形もいいが、

 


女将の祖母が着た打掛
湯袋峠の雪が心配だったが、小屋に閉じこもっているのにも飽き飽きしたので、真壁まで食事に行くことにした。行き先は橋本旅館&珈琲である。一昨日から、雛祭りが始まっているので、いつものメニューとは違っている。「上巳御膳」とかいって豪華である。梅酒の食前酒や蛤のすまし汁まで付いている。隠しながら若い女性のようにスマホで写真まで撮ってしまった(アァ、ハズカシカッタナー)
 食後、二階に上げてもらった。ここの二階は、大正・昭和初期の雰囲気がそのまま残っていてどこか懐かしさを感じさせる。さすがは有形文化財の老舗旅館だ。
 祭が始まって日が浅いせいか、僕の他に誰もいない。これ幸いに、享保年間(1716-1735)に作られた真壁で最も古い雛人形とじっくりと対面させてもらった。人形の上品で優美な表情に見とれて、当初、ここで「ぜんざい」を食べるつもりだったのをすっかり忘れて小屋に戻ってしまったのが唯一の心残りである。(写真はクリックしたら大きくなるよ)