2015年12月26日

ライ麦が芽を出した

 今年の夏、庭の一角に畑らしいエリアを作って、ナスとミニトマトとカボチャ、それにHさんから苗を頂いた超ミニトマトを植えた。ズボラな僕のことだから、雑草は抜かない、肥料はやらない。それでも、立派に育ってたくさんの実をつけてくれた。真夏の頃、冷やしたトマトの実を口に含んだ時の快感がいまだに忘れられない。それですっかり気を良くして、来年こそ、もっとチャンと野菜を作ろうと考えて『これならできる自然菜園』なる本を買ってきた。
 どうやら、この「自然農法」は、全く僕向きのようだ。無除草、無耕起、無化学肥料!枯れて腐った雑草などの細根っこが空気や水の通り道になって、水はけが良くて同時に水持ちの良いフカフカの土になる。雑草の地上部が腐って自然の肥料になる。土壌動物や菌類の力を借りて野菜を作る。何て素晴らしい農法だろうか! 少々うますぎる話のような気もするが、怠惰なもう一人の自分が、「そんなことはない。仮に失敗してもそれで生計を得ているわけではないのだから、試してみたら?」とそそのかした。という訳で、今月の初め、まず深く根を張るライ麦を蒔いた。種まきの時期が遅かったから、発芽しないのではと心配したが、今のところ順調に育っている。さて、この畝間に何を植えようかと、今からあれこれ考えている。これが、また楽しい。(今のうちは)


2015年12月8日

12月だというのに小春日和





12月だというのに小春日和。
僕らと一緒に、お茶でもしませんか? 
ピー、そんな怖い顔していては、誰もこないよ!

写真をクリックすると大きな画面になります)








2015年12月4日

晩秋の小屋にて


  ヒマになったので、久しぶりにブログを更新することにした。この間に、小屋の庭は、すっかり晩秋の景色なってしまった。カツラは全て落葉したし、紅葉したカエデは散りかけている。今日やった事と言ったら、ピーと一緒に窓に肘をついてボッーと庭を眺めていたことと、ちょっと昼食に外出してから、寝転んで本を読んだことぐらい。

読んだ本は、僕もメンバーになっているYADOKARIのグループが、最近出版した『アイム ミニマリスト』だ。これは、小さな家に住み、大量消費生活から抜け出し、簡素だけど豊かな暮らしをしている人たちを紹介したものである。もともと、僕もこうした暮らし方を理想として山小屋を建てたのだが、いつの間にか、身の回りに「物」があふれて、「便利さ」に振り回されてしまってウロウロしている。ミニマリスト失格である。この本を読んで、少しは初心を取り戻したような気がする。



2015年9月30日

笠間のダム周辺をウロウロ


 
 笠間の森林技術センターへ資料をもらいに行ったついでに、飯田ダムまで足を伸ばした。ダム湖を眺めながら、バーナーで湯を沸かしてレギュラーコーヒーを飲みながら、遅い朝食をとろうという計画である。さて、見晴らしの良い山際に車を止めようとしたら、先客があった。地元のキノコ狩りのおばちゃん2人である。もう、季節が過ぎたのでのでダメだと思うけど一応これから山に入ってみる、という。
 それから3、40分して、食事が終わって戻ったら、偶然にもおばちゃんたちが山から下りてきたのと出会った。なんだか、嬉しそうである。近寄ってカゴを覗かせてもらったら、驚いたことに大きなシシタケ(コウタケ)を始め、イッポンシメジに、チチタケ、ムラサキシメジなど、二人ともかなりの収穫である。ここでコウタケを見つけたのは初めてだそうだ。よほど、嬉しかったのか、別におねだりしたわけでもないのに、僕にチチタケを全部持って帰れという。もちろん、遠慮なくいただいてきた。



帰りに、近くの「たなか家」とかいう食堂で食事するのが楽しみだという。場所を教わったので、後から僕も行ってみた。そして、この店の名物らしい「納豆とんかつ定食」なるものを食べてきた。ロース肉の間に、青じそ入りの小粒納豆がたっぷり挟んである。確かに、ここは茨城だ(笑)。





注)シシタケは、香りが強いのでコウタケ(香茸)ともいいます。昔から「香り松茸、味しめじ」といいますが、実はシシタケの方が香りが良くて強いのです。最高級のキノコですから、値段も、この写真ぐらいのものでは4000円位/本します。おばちゃんの嬉しい気持ちもよく解ります(笑)。この時は、二本探して、仲良く二人で分けたようです。


2015年9月27日

車の調教ついでに


 最近、愛馬(車)を新しくしたので、あちこちと遠距離を走らせて調教している。何しろ、餌代がこれまでの三分の一で済むのだから、つい、気が緩んで、暇があると出掛けたくなってしまうのだ。
 今日は、夜明けとともに雨の中を北に向かい、笠間から栃木県の茂木を抜けて馬頭まで行った。そろそろ疲れが出てきたので、どこかで休憩しようと思った。どうせ休むなら風呂にでも入ろうかと地図を見たら、近くに温泉があるではないか。さっそく立ち寄ることにした。それが、大正解だった! 杉や楓などの大木の林の中の一軒宿である。崖の上に建っているのだろうか、木立の下の方から水の流れる音が聞こえる。建物は平家の木造で、新しくはないが、隅々まで掃除が行き届いている。脱衣場などは、極めて質素なつくりだが、とても清潔で、どこにも埃など無い。午前中だからだろうか、休日だというのに客は僕一人だけである。広い湯船に僕一人。ぬる目の湯に首まで浸かりながら、小雨が木の葉を濡らすのをボーと眺めていた。木立の合間から川面が白く見える。(こんな時、俗世の雑事を思い出すのは馬鹿だけだ、と自分に言い聞かせながら)

 帰りは、大子から常陸大宮を通って戻った。途中、田舎のよろず屋の前を通ったら、店先に地元の林で採取したキノコが並べてあったので、一番安いタマゴ茸を買ってきた。このお店は、どことなく味のある店構えをしていて、以前にもその風貌に誘われて入ったことがある。小屋に戻ってから、さっそく、パスタ料理にして食べたが、味も食感も上品な美味しさで、あの生キノコの毒々しい色やテング茸に似た形からは決して想像できない。もちろん、このブログを書いているくらいだから、無毒である(今の所は・・・)。
 因みに、風呂代400円、キノコ代(20本はあった)500円、昼の栗おこわ350円と、安上がりだったが充実した調教の旅だった。


2015年8月3日

ヤママユの訪問


 「メチャ」忙しかった7月も過ぎて、今日はのんびりと小屋で過ごしている。Apple Musicを流し聴きしながら、長椅子に深々と座っていたら、バサバサと大きな羽音を立てて、窓から何かが飛び込んできた。山小屋にはクーラーなどは無いから、夜は窓を開け放しているのだ。だから、いろいろな虫が訪れる。小さな蛾や甲虫類はもちろん、セミやクワガタなどは常連である。今夜は、その中でも最大級のヤママユ(♀)の訪問である。以前のブログで、入り口にいた幼虫を紹介したが、これが羽化したのだろう。大きさは10センチもあって、羽の4つの目玉がじっと見つめている。いわゆる天蚕である。古くは、この蛾の繭を野山から集めてきて糸を紡いだそうだ。なんでも、この糸は萌黄色の独特の光沢を持っていて、絹より軽くて柔らかいという。糸の中が空洞になっているため保温性も高い。しかも、この天蚕の糸は、普通の蚕の100倍もの値段で売買されるそうである。幼虫の餌は、クヌギやクリ、コナラなど、どこにでも生えている木である。
 誰か、飼育に挑戦して、着物でも織ってみたいというなら、明日の朝まで確保しておくよ(笑)。


2015年7月14日

今年もヤマユリが咲いた


 朝食を食べていたら、小屋の入り口に車が止まった。百合泥棒でも来たかと見に行ったら、大きなカメラと三脚を抱えた老夫婦だった。毎年、この季節になると、お隣の杉林に咲くヤマユリを撮影しに来ているのだという。それが、二人の大きな楽しみだそうだ。おじいさんが撮影する傍らで、おばあさんは、百合に絡みついた蔦草を、優しく取り除いていた。

 ヤマユリは、今が、盛りでもっとも美しい。僕もカメラを持ちだして写真を撮ることにした。今年は、杉を間伐したのが良かったのか、例年になく見事な花を咲かせている。あたりには、甘い百合の香りが漂っている。杉の根元には、白いヤブミョウガの花が咲いている。もう紫色のアキノタムラソウも咲きだしている。それにしても、こんな見事な花を咲かす日本の里山は本当に素晴らしい。


2015年6月17日

小屋への訪問者【閲覧注意】

 出かけようとしたら、小屋の表札にクスサン(樟蚕)の幼虫が這っていた。どうやら、入り口の栗の葉っぱを食べ尽くして、あたりに散らばったようだ。その一匹が、小屋を訪問したのだろう。よく見ると、全体が淡いエメラルドグリーンで、それにふさふさの毛と体の両脇にあるブルーの模様(気門)が、なかなか美しい。この幼虫のふさふさした毛は刺さないから「針」ではないのだ。地方によっては、愛情をこめて? シラガタロウ(白髪太郎)と呼んでいる。綺麗な体色、ふさふさの毛、それにズングリした体とのんびりした動き・・・だんだん可愛くなってきたでしょう(笑)。もっと、はっきり見たい人は、右下の写真をクリックして欲しい。でも、可愛く思わない人のために、一応、【閲覧注意】としておきます(笑)。

 表札といえば、先日近所の人が救急車を呼んだ時、「ビオトープの近く」と言ったら、すぐに場所が解ったそうだ。そういえば、7、8年前に冗談半分で、小屋の表札に「青柳ビオトープ園」と書いていたことがある。その後、何気なくグーグルマップを見たら、僕の小屋が「ビオトープ園」と表示されていたので驚いた。慌てて消してもらったが、今でも消防署などでは通用しているようだ。まあ。これはこれで、何かあったときには、すぐに来てもらえるので便利かもしれない。



2015年6月8日

コウホネ(河骨)

 真夏の昼間、吹き出す汗をぬぐいながら繁茂する葦原をかき分けて、やっとのことで沼縁までたどり着くと、澄んだ沼の水面に河骨(コウホネ)の群落が一面に広がり、つやつやした深い緑の葉の間から黄色の花がのぞいている。一瞬、時間が止まる。・・・こんな光景も、僕の原風景の一つだ。そのせいか、コウホネが好きだ。昨年、知人からヒメコウホネの株をもらって、庭のコンテナに植えたら順調に育って花を咲かせた。時々、その前に座って、濃緑の大きな葉と蝋細工のような鮮やかな黄色の花を眺めては、子供の頃の「冒険」を思い出している。

 河骨(コウホネ)とは妙な名前だが、これは水中の地下茎が、まるで白骨化した人の背骨に似ているからだ。これを川底の泥に埋まっている人骨と見間違えてギョッとしている人の表情が想像できる。


2015年6月1日

テイカカズラが咲いた


 庭の東側のコナラの幹にびっしりと巻きついているテイカカズラが花を咲かせた。濃緑の葉とややクリームがかった白い花のコントラストが美しい。プロペラのようにねじれている5枚の花弁の形が面白い。以前、笠間の陶芸美術館で、この花を文様風に並べて描いた富本憲吉の工芸品を見たことがある。彼が失意のうちに帰郷したときに奈良の自宅の庭先でこの花と出会い、以降、多くの作品のモチーフにしたと解説にあった。
 また、テイカカズラは、古くから日本人の心を惹きつけたようだ。万葉集や古今和歌集などではイワツナ、ツタ、マサキノカズラという名前で歌われている。そして、名前の由来は、謡曲「定家」であると言われている。これは、平安時代の終わり、歌人として有名な藤原定家が慕っていた式子内親王が病で亡くなった後も、蔦葛となって墓石にまつわりついて苦しめたので、皇女の霊は旅の僧に助けを求めたという話である。「愛」も過ぎれば「貪」となる(笑)。冬でも深い緑の葉を茂らせ、大木にもよじ登る生命力、そして花と果実の特徴ある形に、人々は強い関心を寄せたのだろう。
 僕もヒノキ林の林床が、テイカカズラの幼木で覆われていたを見てその繁殖力の強さに驚いたことがある。キョウチクトウ科で有毒。


2015年5月26日

漢字の世界

 歳のせいか、パソコンばかり使っているせいか、この頃、すぐに思い出せない漢字が増えた。もっと漢字に関心を持たなくてはと読み始めたのが、白川静の『常用字解』(平凡社2003)である。これがたまらなく面白い。日頃、よく使う漢字の背後に、三千年も前の人々の生活や思想が隠されているのだ。それを文字学の第一人者である白川静さんが、古代文字を基にして体系的に解明している。
 どう面白いかの例として、僕の名前の一字である「眞(シン)」を見てみよう。これは、人を逆さまにした形「ヒ(か)」と首を逆さまに吊り下げている「県」(下の小のようなのは、垂れ下がった髪の毛)との組み合わせで、顚死者すなわち不慮の事故にあった行き倒れの人を表している。こういう死人は、強いうらみを持っていて、その霊力が目に現れるから「瞋(いかり)」となる。「慎(つつしむ)」は、その瞋(いか)りの霊魂を鎮める丁重な心情をいうのである。親父も、このことを知っていたら、我が子の名前に使わなかったと思われるが、興味深いのは、その後の展開である。死者は、もはや変化するものではないから、永遠のもの、真の存在、真理の意味となり、「まこと」の意味となる。ここに、「人の生は仮の世で一時なものであるが、死後の世界は永遠である」という古代人の思想が読み取れるのだ。やれやれ、ここまで来て、やっと安心できる。
余談だが、永久の「久」は、死者を後ろから木で支えている字形である。これも死んで「永久の人」になるからである。
 このように漢字の世界は奥深い。一つ一つに三千年前の世界観が籠められている。それを現代の私たちが、何気なく使っているのだ。そして、知らず知らずのうちに何らかの影響を受けている。これって、ものすごく神秘的で驚異的だと思う。漢字語圏に生まれてよかった!
 教訓:孫の名前をつけるときは、白川静の本にあたるべし。


2015年5月22日

「やさとの椅子展」に行って

昨日から、やさとの「こんこんギャラリー」で第13回「やさとの椅子展」が始まった。雪入公園の下見が早く終わったのでさっそく行ってみた。椅子展は、多くの作家たちが、個性あふれるものや独創的なアイデアのものなど、思い思いの作品を展示していて実に楽しい。
 あちこちの椅子に座っては、自由で軽やかな気分になってみたり、ゆったりとした気分になったりと、いつまでも飽きることがない(こんな訪問者は迷惑だろうなァ)。
 アンケートを書いたら抽選が出来て、当たれば景品がもらえるという。抽選器は、手回しして色のついた玉が飛び出るクラシックなやつである。更に、ここのは特別なもので、回転する箱の上に「キツネ」の彫り物が鎮座している。さすが「こんこん」である。
 さて、おもむろに回したら、大当たりの「赤玉」が出た。景品として、Mさんが手作りしたコーヒー豆・スプーンを貰った。これは嬉しい! 抽選する前から、このスプーンにコーヒー豆を山盛りすれば、ちょうどドリップ一杯分だろうと考えていたからだ。
 実は、「おもむろに」と書いたが、大当たりするには、ちょっとした儀式が必要である。まず、回す前に、欲しい景品を心に描きながら、抽選器のおキツネ様の頭を優しく3回撫でること。これが秘訣である(笑)。

   展示期間: 5月21日(木)〜 31日(日) 期間中無休
   時間 :  11:00 〜 17:00

2015年5月13日

深海にて

 

 だいぶ陽も西に傾いたこの時間、部屋は暗くなってきた。周囲の窓は、まだ明るさの残っている庭の木々を四角に切り取って、まるで絵画か映画の一画面のようだ。ソロピアノの『Staircase』が流れている。僕は、長椅子に足をなげ出して座り、先ほどからトーべ・ヤンソンの『島暮らしの記録』をパラパラとめくっている。揃えた両膝の上ではピーが丸くなってぐっすりと眠っている。静かだ。まるで深海艇にでも乗り込んで海の底にピーと二人だけで沈んでいるよう。時折、海藻が波に揺れているかのように木々の梢が風に揺れる。小魚が泳ぎ去るかのように小鳥が横切る。
 現在のこの瞬間にも苦しんだり悩んだりしている人が沢山いるというのに、こんな平穏な時間を僕らだけが味わっていいものかと、ちょっと気になるが、まあ、いいか。


2015年5月11日

見上げればホオノキの葉


 つい先日、開葉したかと思ったホオノキが、いつの間にか一人前の大きさになっていた。これからしばらくの間、晩秋に落葉するまで、この大きな葉が小屋のデッキに緑の日陰をつくって、ピーと遊んだりお茶を飲む大切な空間を、強い日光から守ってくれる。朴の木は、僕らに静かな時間を与えてくれる頼もしい日傘なのだ。
 また、雨の日には雨粒が葉にあたって、「パラパラ」と大きな音がする。朴の木は、僕らの単調な小屋生活を慰めてくれる楽しい楽器でもある。


2015年5月8日

睡蓮鉢に空が映っていた

 
一昨年、小屋の軒下に設置した睡蓮鉢がいい感じだ。まだ姫睡蓮の葉も浮草も小さい水面に、影絵のように庭の木々が映っている。明るく抜けているところは、茂り始めた梢の間からのぞいている空。それに混じって、白く浮かんでいるのは散り始めたハクウンボクの花。五匹の緋メダカが、のんびりと泳いでいる。





2015年5月5日

ハクウンボクの鐘

 

 今年もまた、小屋の入り口近くにあるハクウンボクがたくさんの花を咲かせた。まだほの暗さの残る午前5時頃、野外に出たら、ブゥーンという無数のハチの羽音が聞こえた。音の発信源を辿ってみたら、多くのハチがこの花の間を飛び回って蜜を集めているのだった。ハクウンボクは、漢字で書くと「白雲木」である。良い名前をつけたものだ。五月晴れの青空と新緑の緑に、純白の花がよく映える。小さなベルを連ねて、春の喜びをおもいっきり伝えている。
 ハクウンボクは、この付近に分布する野生の樹木では美しい花を咲かす木の一つだろう。筑波山の北面にもたくさん自生しているが、残念なことに、樹冠近くの高い位置で咲いているので気がつく人は少ない。懸命にベルを振っているのに。





2015年5月4日

トマトを植える

前から頼んでいたトマトの苗を、長井農園から受け取り庭の南側に植えた。しっかりとした健康な苗である。それに、僕も今年は(今のところ)気合が入っている。すでに元肥は入れたし、こども農業雑誌『のらのら』で、育て方はバッチリ学んだ。毎年最大の敵であるクズも、ホルモン系農薬『クズコロリ』という新兵器で絶滅させた。おまけにコンパニオン・プランツのバジルも植えた。もう、豊作は間違いないだろう。朝露で濡れたトマトにかぶりつくのが待ち遠しい。

 ここで宣伝だけど、この「こども農業雑誌『のらのら』(農文協 4回/年)」は、実に楽しい。あの有名な『現代農業』の子供版みたいなものだけど、農作物や農的な生活について、やさしく丁寧に解説されている。内容も案外深くて高度である。何といっても、掲載されているイラストや写真が楽しい。(最近の僕には関係がないが、)気分が落ち込んでいるときや、イライラするときなど、眺めているだけでも元気が出てくることだろう。大人の気分転換用の読み物としても十分に役に立つ。そういえば、副題が「家族で楽しむ」となっていた。


ヤブデマリの花が咲いた


 この季節、湯袋峠などを車で走っていると、緑が濃さを増した山の斜面に白い花が点々と咲いているのを見つけるだろう。何の花だろうかと近づいてみると、すぐに、このヤブデマリの花だと判る。そう、花の形に特徴があるのだ。5枚の花弁のうち、中心側の1枚が著しく小さい。どことなく愛嬌のある面白い形をしている。白い蝶々のようだという人もいる。さらに、よく見ると、この白い花には、雄しべも雌しべもない。この白い花弁は、昆虫たちを誘うための目印、いわば看板みたいな役割をしている。この白い花に囲まれた中央の薄黄色のボチボチは子孫を残すための花で、花弁が無い代わりに雄しべも雌しべもある。夏には赤い実がつき、秋には黒く熟す。僕らは昆虫ではないが、白い花に誘われて、つい視線を向けてしまう。


2015年5月1日

カマツカ


今日も早起きした。気持ちがいい。日の出とともに起きて日の入りとともに眠るような生活をすれば、現代人の多くの精神的な病は発症しないのではないかと思う。人間は、何百万年も前から、つい最近までそうした生活を送ってきたのだから。

 例によって、今日も庭を巡回した。カマツカの花がひっそりと咲いていた。カマツカは、「鎌柄」の意味で、別名に「ウシコロシ」という恐ろしい名前もある。牧野日本植物図鑑(増補版)には、「材頗る粘靱にして堅く、鎌の柄に用いらるるに由り鎌柄の名を得、又牛の鼻に綱を通す時此の木を以て鼻障孔を穿つより牛殺しと称す。」とある。いろいろ調べてみると、牛の鼻輪を作ったり、先を尖らせて鼻輪を通す穴を開けるのに使ったり、また、この木の藪に牛が頭を突っ込むと角が引っかかって抜けなくなるからなど諸説ある。まあ、いずれにせよ、この木はいつでも農民の身近にあって生活と深く結びついていたのだろう。秋になると、小さな赤い果実がつく。子どもの頃、学校帰りによく友達と探して食べたものだ。リンゴの味がした。同じバラ科である。

2015年4月30日

オドリコソウの花

めずらしく早起きして庭を歩いていたら、オドリコソウの花が群がって咲いているのを見つけた。これまで、外来種のヒメオドリコソウばかりだったから嬉しい発見である。清々しい緑の葉の間から清楚な白い花を覗かせている。屈んで見ると、確かに名前の通り、白い手ぬぐいで頬かぶりして花笠をがぶった娘たちが、茎を中心に輪になって踊っているようだ。手拍子を打っている白い手首を前に差し出しているようにも見える。うっすらと化粧もしている。可哀想だが、その内の一人をつまんで引き抜き、花の根元を吸ったらかすかに甘かった。これは昔からの子供達の遊びだ。花の上部には、蓋のような大きな花弁があって、内側に雄しべついている。昆虫が花の奥の蜜を吸おうと潜ると花粉が背中にくっつく仕組みになっているのだろう。また、その蓋のような花弁が、蛇が大きな口を開けた形に似ているので、この草は「ハミ(食み)」とも呼ばれていた。蛇が集団で鎌首を持ち上げているよりは、踊り子の方が「ズッ〜ト、ズッ〜〜〜ト」いい。


2015年4月15日

雨樋のスミレ


 久しぶりの晴天。デッキでコーヒーを飲んでいて、頭上の雨樋の中にツボスミレが咲いているのを見つけた。確か昨年も咲いていたから、同じ株が今年も花を付けたのだろう。ツボスミレは、漢字で書くと「坪菫」で「庭のスミレ」の意味である。どこにでも生えていそうだが、案外、都会では少ない。ニョイスミレとも言う。これは葉っぱの形が仏具の如意に似ているからだそうだ。そういえば、可愛いハート形している。
 「昨年も咲いていた」とは、この一、二年間、雨樋の掃除をしていないということである。いっその事、このままにしておいて、どんな植物が生えてくるか試してみようと思っている。新たな植物を発見する喜びに比べたら、雨水がボシャボシャと溢れ落ちるなんて、たいしたことではない。


2015年4月2日

ハンモック日和

先日、子どもたちが小屋に来るというので、今年初めてハンモックを吊るした。今日は何の予定もない。本を抱えてハンモックに乗った。横になって空を見上げると、青い空に白い雲。真上のウワミズザクラは芽吹いたばかり、初々しい若葉に陽が当たっている。まだ、ホオノキの蕾は固い。隣の杉林からは、ヤマガラの鼻にかかった鳴き声がする。早くもシジュウカラが囀っている。先ほどからパラパラと木屑を落としているのはコゲラだ。

 僕はハンモックが大好きだ。ハンモックはとても気持ちがいい。子どもたちが喜ぶのはもちろんだが、大人にとっても実に楽しい。以前、小屋に遊びにきた客は、到着早々にハンモックに横になったまま帰宅時間まで眠り込んでいた。

 これからずうっと天気の良い日は、昼も夜も、この上で生活したいくらいだ。しかし、残念ながら、もう少したつと蚊が出現する。蚊はハンモックの快適さを一挙に壊す。今のうちにたっぷり楽しんでおこう! 山桜が咲いたら、桜の下にハンモックをつるそう! ハンモックから揺れながらの花見だ。すでに、どの木とどの木の間に吊るすかは決めてある。


スプリング・エフェメラル

 

 庭の片隅に植えたまま、すっかり忘れていたニリンソウの株が、いつの間にか増えて花をつけていた。深い緑の葉の中に、白い花がひっそりと咲いている。蕾の外側がほんのりと赤みを帯びて可憐だ。この花が、山の暗い谷間に敷き詰めたかのように咲いていて、足の置き場に困ったことがある。ニリンソウやカタクリは、まだ木々が葉を出さず林床まで日差しが届くわずかな期間に、花を咲かし、実を結び、栄養を蓄えてその年のサイクルを終える。このような植物を「スプリング・エフェメラル」という。「春の妖精」とか「春の儚い命」と訳されている。一年でほんの2ヶ月ばかりの間だけ、地上に現れた森の「妖精」は踏み潰せない。


2015年3月11日

八郷の「見所」


 午後4時過ぎ。羽鳥から八郷盆地に戻ると、陽は西に傾き、斜めの光が小麦畑を照らしている。しばらくぶりに出会った緑色の広がりに魅せられて、車を止めてじっと見入ってしまった。畑の向こうに見える山々の谷は、すでに翳り始めて、陽の当たった斜面とのコントラストがはっきりとしている。静かだ。

 ときどき、知人から八郷の見所はどこだと聞かれることがある。そんなとき、一口に答えるのが難しい。八郷には、たいして有名な寺社仏閣も特別に風光明媚な場所もあるわけではない。テーマパークもショッピングセンターもない。それでも、訪れた多くの人は「八郷が大好き」だという。「なぜか心が休まる」という。僕の友人は、八郷に来て「ここには安定感がある」といっていた。安定感は安心感と言い換えてもいい。生きて行くうえでの安心感、安定感。

 筑波山に見守られながら、周囲を里山に優しく抱かれて、そこから流れ出る水が田畑を潤し、食料や果物が自給できる土地。近くの森に入れば、住む家を建てる木材や燃料などが容易に確保できた環境。こうした美しく豊かな土地が育んだ人と人の繋がり。このような八郷の土地が、長い年月をかけて「心地良さ」や「安心感」を醸成したのにちがいない。それを訪れた人は無意識に感じ取るのだろう。これこそ「八郷の見所」だと言いたいが、言葉にするのは難しい。ただ、写真のような静かな光景を見せるだけだ。(是非、写真をクリックして大きな画面で見て欲しい)




2015年2月21日

豊かな山小屋の朝

今朝の庭。昨夜の雨が枝先で凍って、それが朝日に照らされてキラキラと輝いている。幾千万の宝石に囲まれたよう。



2015年2月18日

誰の仕業か?

朝起きて気がつくと、庭の木の根元周辺の落ち葉が除かれている。誰かが越冬している昆虫を食べに来たらしい。昨日はマルバノキだった。今朝はカツラの木の下が丸く地面が現れている。ピーがこんな事までして地中の虫を食べるとは思えないし、誰だろう?もしかすると、イノシシかタヌキが山から下りてきたのか?それにしては掘りあとがおとなしすぎる。現場は窓のすぐ近くだから、大物だったら気がつくはずだ。考えられるのは、ツグミの仲間だ。シロハラだろうか? そういえば、この頃、隣のヒノキ林の中で彼がウロウロしているのをよく見かける。明け方にでもやってきて、枯葉を一枚づつ啄んで除きながら、地面の虫を探したのだろうか。
 今頃から春先にかけてが、小鳥たちにとって食べ物が一番不足する時期である。秋に実った木の実草の実は食べ尽くしてしまったし、昆虫はまだ活動していない。いよいよ、彼らから僕のバードテーブルが頼りにされる時期がやってきた。


2015年2月14日

声高に言う奴は信じられない

 
もうすぐ4年目の3・11である。あの福島第一原発の事故は、本当に恐ろしかった。想定外だろうが何だろうが、こんなことは絶対にあってはならない。放射能は目に見えず理解するのが難しいため、僕らを底なしの不安に陥れる。事故から今日まで情報が錯綜し、様々な人が様々なことを言ってきた。中には、こうした不安を煽るかのように素人の野次馬根性で、根拠のない「情報」や「説」を流すものも少なくなかった。また、意図的・無意識的に真実を隠したり曲げるものもいた。これらが、風評や差別を生ずる元凶であることは間違いない。
 こうした混乱の中、僕が事故直後から今までずっと信頼して自分の判断基準としてきたのは、物理学者 早野龍五(@hayano)が発信するツイッターの情報だった。彼は、情報が混乱と錯綜する中でも、淡々と冷静に科学的な様々なデーターを刻々と発表していた。彼が「もうダメだ!」と言ったら、本当に「最後なんだ」くらいに思った。だから、フォローする僕としても真剣だった。確か、福島で農業を営んでいる若い知人に、チェルノブイリでの放射能の農作物への影響に関する論文を紹介できたのも、彼の記事から教えてもらったからだ。カリウムがセシウムの吸収を阻止することも教えてもらった。内部被ばくのことも、子どもの甲状腺ガンのことも・・・。

 昨日、流山へ帰って、近所の本屋へ散歩に行ったら、新潮文庫のコーナーに彼と糸井重里氏との対話を見つけた。パラパラとめくってみたら、糸井氏も僕とまったく同じ思いで、事故直後から早野さんをフォローしていたのを知って、急に親近感が湧いてニンマリしてしまった。本の中で、糸井氏が単刀直入に、「起きてしまった」ことの放射能レベルについて、また今後の影響について聞いている。それに対して早野さんは、科学者らしく明快に答えている。そればかりか、未来に向かっての「こころのありよう」も語っている。本物の科学者とはこういうものかと思った。
 ところで、気になる放射能の影響について、早野氏が何と言っているかは本を買って読んでほしい(笑)。少しは気が楽になるでしょう。

2015年2月11日

カマドウマ

枕元にやってくる虫と遊ぶのを楽しみにしているのだが、この季節、虫の姿がめっきり減って寂しい思いをしていた。ところが、最近、小屋のどこかでカマドウマが大発生したようだ。昨夜も、顔の上に何か飛び乗ったものがあったので、あわててランプを付けたらこいつだった。昼間は、どこか物陰にかくれてじっとしているが、夜中になると出てきて、あちこち飛び回っている。人の顔の上だろうが、ピーの餌皿だろうが、流しの中だろうが御構い無しだ。よく見ると鼈甲色の粋な斑模様をしているし、立派な足で見事なジャンプをする。それに「竃馬」なんて、ちょっと気の利いた名前まで持っている。
 しかし、最近の家庭では、「ベンジョコオロギ」なんて呼ばれて、不快昆虫として忌嫌われる。べつに噛み付いたり刺したりしないおとなしい昆虫なのだが、ゴキブリ同様に、昼間は湿った薄暗いところに集団でいて夜になると出歩き、何でもガツガツ食べるのが悪いらしい。
 でも、考えてみると、長い歴史の間、隙間だらけの木と草と土でできた家に住んでいた日本人にとっては、こうした昆虫が、いつでも身の回りにいるのが当たり前で、昆虫や小動物と一緒に生活している方が自然だったのだろう。僕などは、子どもの頃、田舎の茅葺き屋根の家で、こうした虫たちと遊びながら育ったせいか郷愁みたいな感じすらする。決して叩き潰したり毒殺する気になれない。


2015年1月13日

その後のバードテーブル


 どうやら僕の作ったバードテーブルは、小鳥たちに気に入ってもらえたようだ。寒くて起きるのが面倒だから、布団をかぶったまま耳をすませていると庭の方から小鳥たちの鳴き声や羽音が聞こえる。あの鼻にかかった鳴き声はヤマガラだ。これはエナガだ。誰かが銀の鈴をこすり合わせたようだと言っていた。時折、ギーというのも聞こえる。どうやらコゲラもいるらしい。混群だろうか? 東の方向からメジロ夫婦の早口なオシャベリも聞こえる。すると、突然、小鳥たちを追い払うような鋭い鳴き声がした。とうとうヒヨドリが割り込んできたらしい。朝の平和が一瞬で壊れた。
 気のせいだろうか?バードテーブルを設置してからというもの、庭に来る小鳥の数が増えたように思える。今朝も窓のすぐ脇のシャリンバイの枝から枝へとクリクリ目玉のルリビタキのメスが飛び回っている。ジョウビタキの雄など、すぐ近くまでやって来て、鮮やかな緋色のお腹を見せびらかしている。そのほか、カシラダカにホオジロ、ツグミにシロハラ、ウグイスにシジュウカラ・・・。
 彼らから、僕が安全な動物であると認めてもらえたのかと思うとたまらなく嬉しい。