2016年10月17日

内山節の講演を聞いて



 昨日、八郷の朝日里山学校で第5回目の『八豊祭』があり、内山節氏の講演があった。彼を知ったのは、確か『森へかよう道』(1994新潮選書)や『里の在処』(2001新潮社)を読んだころだから20年も前の話である。その時「この人とはフィーリングが合うな」と思って以来、時々著書を見つけては読んでいる。その本人と、まさか八郷の山小屋の近くで会えるとは、まったく驚きである。しばらく聞いていて、「アア!やはり内山さんだ。変わっていない!」と何かホッとした。呼んでくれた人々に感謝する。

 講演の内容は、人によって受け取り方は様々なようだが、話のポイントは、決して今流行りの「里山地域活性論」では無い。それは、20年も前から住み続けている上野村での生活を原点として思索してきた「関係性」の構築ついてである。この場合の関係性は、自然との関係性、人々との関係性、歴史・文化・土着信仰などとの関係性であり、さらに生者と死者との関係性まで含んでいる。昔の日本の社会は、これらの関係性で結ばれた小さな共同体が多数集まって、全体(多層的共同体)を構成しており、経済活動は、この共同体が営む行為でしかなかった。しかし、これら関係性の諸要素が分解分離して、経済だけが暴走しているのが現在の危機である。これからの社会を展望するにのにあたっては、小さな山里(上野村やフランスの田舎など)に見られるような全体的に調和のとれた「関係性」を再構築することから始めなければならないというものである。

 ざっと、僕はこのように理解したが、注目すべきは、彼の視野が目に見える人間や自然だけに止まらず、目に見えない信仰や精霊、死者などまでに届いていることである。僕が最も共感するのはこの部分であり、彼の思索の深さである。

 現代にふさわしい調和した「関係性」の構築となると、まったく難しくてわからないが、昔の社会あるいは部分的にそれが実現されている社会から学ぶことは多くあるように思う。