2016年11月28日

講演「舟田靖章の世界」が待ち遠しい


 
 少し前に、ロングトレイルを歩いている知人から、八郷のどこかに「日本人で初めてトリプルクラウンを踏破した伝説的な男がいる」という話を聞いた。さて、誰だろうかと思っていたところ、昨年、Hさんの引越し準備の日に、「暮らしの実験室」の舟田君と会って、知らないかと聞いたところ、「ああ、それは僕ですよ」とあっけなく言われて、ものすごく驚いた。だって、てっきりマッチョな男を想像していたが、目の前に立っている彼は痩せぽっちの、まだ少年のような雰囲気を残している、ごく普通の青年だったからだ。
 トリプルクラウン・ハイカーといえば、アメリカの三本の超長距離自然歩道(メキシコ国境からカナダ国境まで縦断するパシフィック・クレスト・トレイル(PCT)、コンチネンタル・ディバイド・トレイル(CDT)、東部のアパラチアン・トレイル(AT)の約14,000Kmの全てを踏破したハイカーに贈られる名誉ある称号である。まだ、日本人では2、3人しかいないと思う。

 その、舟田氏が、来年の1月15日(日)に、八郷の朝日里山学校で講演をするという。もしかしたら、彼の初めての講演かもしれない。僕が聞きたいのは、一つでも数ヶ月かかるルートに、どんな姿勢(気持ち)で臨んだのか? 歩きながら何を考えていたのか? そこで何を得たのか? そして今は? ということである。もっとも、彼のことだから、淡々とさりげなく国内のちょっとしたハイキングみたいなことをことを言うかもしれないが・・・。
 さらに、今回の講演では、実際に使ったバックパック、テント、コンロなどの、手作り(!)の道具類や写真なども展示するそうだ。これは聞き逃す・見過ごすわけにはいかない。


2016年11月26日

集落のおばあちゃんたち



 久しぶりに澄んだ空の今日、Kさんのおばあちゃんが門前で銀杏を乾していた。銀杏は、その名前の通り秋の陽を浴びて美しく銀白色に輝いていた。僕が、呑気に「きれいですね!」と声をかけたら、おばあちゃんから「粒の悪いのを除くのが大変で・・・」と返って来た。イチョウを育て、ここまで見事な銀杏を収穫するまでには大変な手間と苦労があったのだろう。

 
 Kさんの家の100mほど南に、同じ苗字のおばあちゃんの家があって、大きな茅葺民家に一人で住んでいる。いつ行っても、物置の軒下で、「しめ縄」を編んでいる。よく初詣などで神社に行くと、ぐるっと境内を囲んでいるあのしめ縄である。専用の稲藁を使って、七目ごとに四手を下げる特殊な編み方をしている。清々しい稲藁の香りがあたりに漂っている。秋の日差しが物置の奥まで届いて、黙々と一人で編んでいるおばあちゃんを優しく照らしていた。

 僕が、この地に小屋を建てたのも、これらのおばあちゃんから、ここに住むことを勧められたのからである。お茶をご馳走になりながら、「ここは特別なところで、あの家もこの家も夫婦揃って90歳になっても元気だ」「ぜひ、夫婦で越して来て住んだらいい」と言われた。確かに、この集落のお年寄りは、元気な人が多い。
 最近になって、この「特別なところ」の秘密が少し解ってきた。それは、水でも空気でも桃源郷のような風景のせいでもなく、単にお年寄りの皆さんがよく働き、よく動いていることにつきる。写真の銀杏を乾しているおばあちゃんなど、90歳をとっくに超えている。おじいちゃんも元気だ。

 僕みたいに、ただこの土地に住んでいるだけで、村のお年寄りのようになれるというのは甘い。



2016年11月15日

落ち葉に埋もれて

 
 昨夜からの雨が上がった。朝起きて、小屋の窓を開けると、黄色く色づいた木々の光が飛び込んでくる。あちこちで、カサ、ボソと木の葉の落ちる音が聞こえる。小さな音は、コナラやクヌギ。時々、ビックリするくらい大きな音を立てるのはホオノキ。カツラやケヤキは音がしない。でも、風が吹くとシャラシャラと一斉に散る。



 庭に出て振り返ると、小屋の屋根は落ち葉でいっぱい。これから、もっとたくさん積もるだろう。掃除するつもりは無い。落ち葉に埋もれて、暖かく冬を越すのだ(笑)。






2016年11月7日

謎とロマンのフクレミカン



 このところ秋晴れの日が続く。笠間に向かう途中、八郷の真家にある浄土真宗の古刹「明圓寺」に寄りたくなった。お目当は、フクレミカンである。以前から、この寺の南面にフクレミカンの古木が数本あるのを知っていた。それらが実をつけるのを見たかったのだ。現地に行ってみると、ミカンは、見事!たわわに実って、周囲の柿の実と秋色を競っていた。
 このフクレミカンは、ふるくから筑波山麓や鹿島郡、行方郡などの茨城県でも比較的暖かな地方で栽培されていたようである。今でも八郷の小幡地区には200年を超えるような古木がある。写真の明圓寺(真家)のフクレミカンも、幹周りが1mもあると思われるものや、地面をのたうち回っている木など、数本が元気に育っており、たくさんの果実をつけていた。味は、酸味がやや強いが、他の柑橘類には無い独特の爽やかな香味があって、皮を陰干して細かく砕いたものを陳皮と言って七味唐辛子に入れる。名前の由来となったブヨブヨの皮に包まれた小さくて可愛いミカンである。昔は、秋の運動会などには無くてはならないものだったようだ。

 ところで、疑問なのは、万葉集巻二十にある占部広方の望郷の歌である。
「橘の下吹く風の香しき筑波の山を恋ひずあらめかも」 また、「常陸風土記」には、行方郡と香島郡には、橘(タチバナ)の木が生い茂っていたので、古くは「橘の郷」と呼ばれていたとある。しかし、現在の植物図鑑に記されている「タチバナCitrus tachibanaは、暖かな地方の植物で、北限は静岡県焼津である。茨城県には生育していない。
 もしかすると、万葉集や常陸風土記に書かれている橘は、フクレミカンのことなのだろうか?それとも、茨城県には他の柑橘類があったのだろうか?そして、日本武尊の妾である弟橘姫や京都御所紫宸殿の右近の「橘」は、どちらなのだろうか?
 謎とロマンに満ちた柑橘類、フクレミカン。そう思いながら、ぜひご賞味あれ!