2016年11月7日

謎とロマンのフクレミカン



 このところ秋晴れの日が続く。笠間に向かう途中、八郷の真家にある浄土真宗の古刹「明圓寺」に寄りたくなった。お目当は、フクレミカンである。以前から、この寺の南面にフクレミカンの古木が数本あるのを知っていた。それらが実をつけるのを見たかったのだ。現地に行ってみると、ミカンは、見事!たわわに実って、周囲の柿の実と秋色を競っていた。
 このフクレミカンは、ふるくから筑波山麓や鹿島郡、行方郡などの茨城県でも比較的暖かな地方で栽培されていたようである。今でも八郷の小幡地区には200年を超えるような古木がある。写真の明圓寺(真家)のフクレミカンも、幹周りが1mもあると思われるものや、地面をのたうち回っている木など、数本が元気に育っており、たくさんの果実をつけていた。味は、酸味がやや強いが、他の柑橘類には無い独特の爽やかな香味があって、皮を陰干して細かく砕いたものを陳皮と言って七味唐辛子に入れる。名前の由来となったブヨブヨの皮に包まれた小さくて可愛いミカンである。昔は、秋の運動会などには無くてはならないものだったようだ。

 ところで、疑問なのは、万葉集巻二十にある占部広方の望郷の歌である。
「橘の下吹く風の香しき筑波の山を恋ひずあらめかも」 また、「常陸風土記」には、行方郡と香島郡には、橘(タチバナ)の木が生い茂っていたので、古くは「橘の郷」と呼ばれていたとある。しかし、現在の植物図鑑に記されている「タチバナCitrus tachibanaは、暖かな地方の植物で、北限は静岡県焼津である。茨城県には生育していない。
 もしかすると、万葉集や常陸風土記に書かれている橘は、フクレミカンのことなのだろうか?それとも、茨城県には他の柑橘類があったのだろうか?そして、日本武尊の妾である弟橘姫や京都御所紫宸殿の右近の「橘」は、どちらなのだろうか?
 謎とロマンに満ちた柑橘類、フクレミカン。そう思いながら、ぜひご賞味あれ!



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