2017年1月16日
薪ストーブ礼賛
暑くてたまらない! 室温計を見たら、31度だった。病み上がりのピーは大喜び。
一昨日から、この寒波に耐えられず、石油ストーブから薪ストーブに切り替えた。今日も夕方から燃やしたら、部屋全体が暖まって、もう、Tシャツになりたいほど。山小屋が小さいことの特典だ。
この薪ストーブは、数年前にジョイフルで3万5千円の特価品を買ったもの。それでも、僕にとっては十分だ。多少、消費燃料は多いかもしれないが、暖かさには30万円のブランド物と変わらない。今では、すっかり心強い冬の友となっている。
ピーを膝に抱いて、じっと炎の揺らめきを見つめていると無心になれる。手元に、久須本文雄著の『座右版 寒山拾得』をおいて、時折、眺めている。なぜか、詩文の理解が容易になる。その中から、正月にふさわしいのを一つ。
歳去換愁年 春来物色鮮 (歳去って愁年を換え、春来たって物色鮮やかなり)
山花笑緑水 巖樹舞青煙 (山花緑水に笑い 巖樹青煙に舞う)
蜂蝶自云楽 禽魚更可憐 (蜂蝶みずから云に楽しみ 禽魚更に憐れむべし)
朋遊情未已 徹暁不能眠 (朋とし遊んで情未だ已まず 暁に徹して眠ること能わず)
漢文、古文、美術や音楽のような、受験に関係なかった教科を、もっと真剣に勉強すれば良かったと反省している。この年齢になってわかったことは、長い人生を本当に豊かにして楽しませてくれるのは、これらの世界なのだと。
2017年1月15日
舟田氏の旅の続き
写真の後ろの衣類も彼の手作り |
話のいくつもの箇所に心惹かれるところがあったが、今でも印象深く思われるのは、彼が、長距離を一人で歩いているうちに、次第に「本当に必要なものは何か」を突き詰めて考えるようになって、既成の商品からいらない部分を削ぎ落とし、さらに進めて、自分で作るようになったと言っていたことである。会場には、ザック、コンロ、ターフなどの自作の道具類が展示してあった。いずれも、徹底的に考え抜かれたシンプルさである。
彼にとって、この旅は、ある意味で自分の生きる力を試す機会でもあった。PCT,CDTぐらいまでは、ほぼ順調に歩けたので自信も湧いてきたようだ。しかし、最後の旅であるATを終える頃、これまでに歩くための道具は自作できたが、結局、食料はヒッチハイクして町に出て、他人や大企業が作った商品に頼らざるを得ないことに気がついた。そして、すべての旅が終わって帰国するなり、自給自足を目指す農家を訪ね歩いて、ついに八郷の『暮らしの実験室』にたどり着いたという。彼は言う、「今あるのも、旅の続きである」と。
そう言う意味では、大企業が作った過剰な商品に囲まれて、大量消費を是とする都会生活にウンザリして、質的に豊かな暮らしを自分自身の手で育て守ることを目指す若者が集まって来る『やさと』に、彼が来たのは何か必然的なものを感じる。
2017年1月13日
退院しました
みなさま、大変ご心配をおかけしました。僕は、先ほど退院してきました。おとうさんが迎えにきてくれたのです。たった、3日間でしたが病院で過ごすのは嫌なものです。やっぱり、住み慣れた自分の家が一番です。もう、二度と入院などしたくありません。すごく痛かったお腹も、お医者さんが治してくれたので、今は、もう大丈夫です。ちゃんとオシッコも出るようになりました。
今回、病気になったのは、おとうさんが「どんどん食べて大きくなって、ライオンになれ!」なんていうものですから、つい、その気になって食べ過ぎたのが原因かもしれません。これからは、人間の言うことなど簡単に信じないつもりです。また、水をたくさん飲んで、食べ物にも十分に気をつけたいと思います。
季節は、最も寒い時期を迎えています。みなさんも、くれぐれも健康には留意してお過ごし下さい。ありがとうございました。
2017年1月11日
ピー、元気になって戻ってこい!
今夜は、4年ぶりで山小屋に一人で過ごす。ピーが入院したのだ。昨日、流山の自宅から戻った時は、いつもなら大喜びで迎えに駆けつけるのだが、その姿がない。不安に感じて、庭を探したら木の根元に元気なくうずくまっている姿を見つけた。痛いのか、苦しいのか、時々、小さな鳴き声で悲鳴をあげている。それでも、夜になったら、僕のベッドに潜り込んできた。でも、眠れないらしい。弱々しく鳴いていた。
今朝一番で、かかりつけのペットクリニックに連れて行った。獣医は見るなり、即座に「これは尿路結石です」と診断した。猫には多い病気らしい。長毛種の雄猫、それも太り気味の猫がよくかかるという。夕方、また会いに行ったら、麻酔して結石を取り除いてもらって痛みが消えたのだろうか、朝と違って、穏やかな表情をしていた。このまま、2、3日入院して様子を見た方がいいというので入院させた。
いつも一緒だったから、ピーのいない生活は、なんとなく落ち着かない。読書をしていても膝に乗ってこないし、話をしたくとも相手がいない。パソコンをやっていても誰も邪魔しない。明るい月夜の庭に出ても、つい、植え込みの黒い影に視線が行ってしまう。ピーがうずくまっているのではと思ってしまうのだ。
写真は、椅子の上に乗って日光浴をしているところ。僕が庭を散歩していると、いつも、ここから僕の動きを見張っている。
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