2018年12月2日

珍しい植物を見つけた!



 場所は言えないが、先日の『えんじゅ』の散策で、とても珍しい植物を見つけた。だから、野山歩きは面白い。いつも何らかの発見があって、心が踊る。

 ヒノキの植林地の林道を歩いていて、林縁で見慣れない果実を付けている植物に気がついた。ツルのところどころに直径が1cmほどの濃い赤色の実が付いている。細く弱々しい蔓は周囲の笹や草の茎に巻きついている。薄い葉は卵状心臓型で対生、長い柄がある。赤い果実は柔らくて、いかにも食べられそうだ。「ウゥ〜〜ン!」困った。参加者に説明しようにも名前が思い浮かばない。後で調べようと一部を採取して、持ち帰った。

 後日、やっと正体が判明した。それは、関東以西に分布する「ツルギキョウ」(キキョウ科)だった。かなりの珍品である。環境省でも茨城県でも、絶滅危惧II類(VU)に指定されている。もちろん、採取は禁止。筑波山調査でも文献には記載されているが、現物は確認されていない。「森林の伐採、道路工事、植生の遷移などが原因で数を減らしており、全国の総個体数は推計約700(2007年)。平均減少率は約30%、100年後の絶滅確率は約96%で、危機的状況にある」そうだ。来年は、忘れずに花を観察しよう。

 八郷盆地は、「人」も面白いところだが、「自然」も素晴らしい!ほんの少し歩くだけで、珍しいもの美しいものと出会える。本当に魅力的なところだ。



2018年11月7日

フクレミカン、その後分かったこと

 2年前の11月7日付けのブログ『木守小屋にて』に、八郷真家の明圓寺にあるフクレミカンのことを書いた。ふと思いついて、今日もまた見に行った。期待していた通り、何本もの古木に果実がたわわに実っていた。昔、この地方では、生食用の柑橘類というだけでなく、冬でも濃緑を保つ葉と美しい黄金色の果実が、「縁起物」とされていたのだろう。
 先のブログでは、このフクレミカンと万葉集で占部広方が歌っている筑波山の「橘(タチバナ)」との関係が謎だとしているが、その後、少し解って来た。どうやら、フクレミカンは、「柑子(コウジ)」の一種だという事である、コウジは、江戸時代以前の我が国に存在した唯一の生食用の柑橘類として珍重されていた。その記載は古く、早くも901年の『三代実録』に名前が出ている。『延喜式』(927)には、各地から天皇に献上されたとの記載がある。万葉集に出てくる橘とは、コウジかその仲間のことかもしれない。(※ニホンタチバナは、静岡県焼津市が北限)
 植物学的には、このコウジは、日本固有の種であるタチバナの血を引く自然雑種とも、タチバナと中国のマンダリンとの交雑から生じたとも言われている。フクレミカンがコウジの仲間で、タチバナの系統だとすると花も似ているはずである。以前、フクレミカンの花が京都御所の右近の橘(文化勲章のデザイン)とそっくりだと聞いた事があるが、これで納得できた。
 コウジの仲間は、耐寒性が比較的強く、栽培が容易なので家庭果樹として、昔は広く東日本の各地で栽培されていた。きっと、フクレミカンも、古くから筑波山周辺で栽培されていたのだろう。しかし、コウジの仲間の柑橘類も、現在では、紀州みかんや温州ミカンに押されてほとんど残っていない。唯一、フクレミカンだけが、日本固有種の血を引く生食用の柑橘類として筑波山麓周辺だけに残っている。そういう意味では、もっと大切にしなければならないのかもしれない。

2018年10月24日

二宮の高田山専修寺



 今日は、気持ち良い天気だし、iMacは快調に動くしで、朝から気分が良い。結城方面に車を走らせた。帰り同じ50号線を戻るのもつまらないので、大きくそれて真岡に向かった。

 Googleマップで見ると、近くに親鸞聖人ゆかりの「専修寺」があるらしい。ナビを頼りに進むと、田畑に囲まれた平凡な集落の中に鬱蒼とした森が現れ、道は次第に狭くなる。人影も無い。道の両側の農家はどことなく昔風で風情がある。やがて、山門が現れた。思わず息を飲んだ。入り口の脇に、根周りが10メートルもある欅がそびえて立っていた。看板によると、樹齢800年で、親鸞聖人のお手植えとある。栃木県の天然記念物になっている。その下の茅葺の「総門」は素朴な形であるが、それだけに長い時間を感じさせる。それもそのはずである、柱は親鸞聖人が建立した当時のものだそうだ。次に現れたのは、重厚な作りの「山門」である。その向こうに「如来堂」が見える(写真)。これは親鸞聖人が建立した唯一の如来堂で、長野の善光寺から迎えた一光三尊仏を本尊として祀っている。その他、等身大の親鸞聖人像の坐像を安置する「御影堂」や日本では最大の珍しい釈迦涅槃像が安置されている「涅槃堂」などがある。この1万4千坪の広大な境内には、多くの国宝や指定重要文化財、天然記念物などが驚くほどの密度で集中している。さすが国指定史跡の寺である。

 親鸞聖人は、越後国に配流された後、許されても直ぐに都に戻らず、稲田(笠間)の西念寺に滞留して、主著である『教行信証』の草稿を完成させた。その後、真岡城主の大内氏の招きで、この地に一宇を建立し、布教活動の中心を移した。親鸞聖人による東国(常陸、下総、下野が中心)での布教は約20年間にも及び、この専修寺で7年間を過ごしている。結果、「高田門徒」と言われる真宗で最大の教団が形成され、後に、京都の本願寺教団に取って代わられる以前は、「高田の本寺」として隆盛を極めた。しかし、戦国時代の兵火によって堂宇が消失するなどして次第に衰退していった。

 シーンと静まりかえった広い境内。僕の他に誰もいない。カラスの鳴き声が建物にこだまする。800年前に、親鸞聖人が踏んだかもしれない地面を歩き、触れたかもしれない柱に触れて、思いをはるか遠くにはせた。







2018年10月20日

パソコンとの戦い


 
 この半月ばかり、パソコンに振り回されていた。先月の末ごろ、10年近く愛用して来たiMacの動きがおかしくなった。ハードディスクが原因だろうと、早速、新品と交換した。ついでにDVDドライブも交換した。APPLEの製品は、素人が内部に触れることを強く拒否する。開けるにも外部にビス一個も無いのだ。前面のガラスが本体と磁石でくっついていることが解って、やっと内部にアクセスできた。結果は、大成功で、以前にもまして、快調に動いた。

 ここで、ついにヤッタ!バンザイ!と歓声をあげたのだが、それから3日もして、突然、また電源が落ちた。何をやってもウンともスンとも動かない。これが、泥沼に足を踏み入れた第一歩であった。諦めきれないので、一番怪しいと思われる電源ユニットを交換した。これで問題は解決するはずだ! しかし! 状況は全く変わらない。もうこれまでと思って、2日ばかり放置しておいた。3日目に気を取りなして、最後の望みを賭けて、ロジックボードを取り出し、ボタン電池を交換した。このロジックボードは、パソコンの心臓部で、長さの異なるネジが十本以上、繊細なコネクターが十箇所以上ある。図を描いておかなければ元に戻せなくなる。すでに部品代に大分投資していることもあって、後に引けなくなってしまっていたのだ。やっとのことで元に戻して、今度こそはと電源スイッチを押した。・・・・・やっぱり動かない。

 パソコンとの格闘はまだ続いている。一昨日、ヤオフク でジャンクのiMacを落札した。そこから正常な部品を取り出して、合体させる計画だ。まもなくジャンクのパソコンが届く。これから激しい戦いが再開される。・・・・結果はいかに?




2018年8月2日

お隣集落の別世界




 知人が、小屋の近くで売りに出ている古民家があると教えてくれた。その写真を見ると、これまで見たこともないような美しさなのだ。まったく心当たりが無い。ぜひとも実物を見たくて、早速、探すことにした。しかし、いくら集落を歩いても、それらしい建物は見当たらない。諦めて引き返そうとして、両側から木立が迫る細い脇道に入ったら、その先で、突然、ケヤキ、杉、ヒノキなどの大木に囲まれた屋敷が広がり、よく手入れされた庭と重厚な母屋が現れた。

 ここは別世界である。静寂さがあたりに漂っている。家の中はどんなだろうかと思っていたら、ちょうど、母屋からM氏が現れて、快く家の中へ招き入れてくれた。広い土間の上には、赤松の梁が何重にも重なって組まれ、そこに天井の明かり窓から光が射している。柱は、どれも見事に黒光りしたヒノキやケヤキ材である。聞いたら130年は経ているという。部屋の周囲は、二重の一枚ガラスで囲まれていて、外からの柔らかい光が静かに畳の上で揺らいでいる。壁面が天井まで書架となっている書斎も素晴らしい。風呂、洗面所などの水まわりも見せてもらったが、どこもかも清潔で清々しい。床の間のある和室などは、凛とした美しさである。僕は、これほどまで完璧にリノベーションした例を他に知らない。

 M氏と、この家のこと、八郷の暮らし、美味しい食べ物、老後のこと、家族のことなどをコーヒーをいただきながら楽しくお喋りした。それが心地よくて、気がついたら2時間も長居してしまった。やはり、ここは時間を超越した別世界である。




2018年7月24日

枕元で昆虫採集


 我が家は、枕元で昆虫採集ができる(笑)。毎日猛暑が続いて、夜になってもいっこうに涼しくならない。そこで小屋の窓を全開にして寝る。すると、斜面の木々を抜けてきた空気は、少しばかり冷んやりするような気がする。しかし、部屋に入ってくるのは空気ばかりではない。カブトムシ、クワガタ、カミキリムシ、カナブン、セミなど、様々な昆虫もやってくる。それらが、やっと眠りに落ちた真夜中ごろになると、決まって暴れ出したり、突然鳴き出したりして大騒ぎする。もう眠るどころでは無いので、起きて彼らを捕えて外に放り出したり、珍しいのが見つかると、昆虫図鑑を引っ張り出して種類を調べたりする。こうして、毎晩、蒸し暑くて寝苦しい上に虫たちに邪魔されて、寝不足が続く。蚊は気温が高くて乾燥しているせいか、意外に少ない。

 網戸を付ければと言うかもしれないが、小屋は北欧製なので、窓はすべて観音開きになっている。そのため網戸が取り付けられないのだ。きっと、蚊などの害虫の少ない北欧では必要としないのだろう。毎夜、ここは「亜熱帯の」日本だということを思い知らされる。

 「もう少しの間、辛抱すれば・・・」と自分に言い聞かせて過ごしているが、一面では「今夜はどんな虫が、遊びにくるだろうか」と密かに楽しみにしている自分がいるのも事実だ。


2018年7月5日

長寿の谷



 『BookCafe えんじゅ』を閉店して帰ろうとしていたら、庭で草を刈っている音がした。のぞいたら、お隣のおじいちゃんが、一人黙々と庭の雑草を鎌で刈っている。お礼の言葉をかけたが耳が遠いので気付かない。近寄って、大きな声で挨拶したら、やっとニコニコした顔を上げた。このおじいちゃんは、ナント! 104歳の高齢なのだ。肌も張りがあって色つやも良い。毎日、こうして作業着を着て、外仕事をしている。しかも、自分の家ばかりではなく、隣家の空き地までを綺麗にしてくれているのだ。
昨年の夏などは、若い人さへ屋内で涼んでいる午後2時ごろに、屋外の炎天下で草刈りをしていた。「もう、あのおじいちゃんは*人*では無くなったのでは?」という噂が立ったほどだ。地元のお婆ちゃん達が、「ここでは夫婦揃って80歳を超えても元気に暮らしているのが当たり前だ」と言っているのを聞いたことがある。確かに、この谷では、ボケることなく元気にしている老人が多い。その秘密は、この写真にあるようだ。常に、仕事して身体を動かし、時には、頼まれもしないのに他人の家までいって草刈りをする。
自戒を込めて、この記事を書く。


2018年5月14日

ノイバラの花


 僕の庭で誇れる花があるとすれば、ノイバラである。庭の中央に大きな株があって、毎年この季節になると真っ白な花をたくさん咲かす。バラの株に近づくと、「ブンブン」とミツバチやマルハナバチなどが盛んに花から花へと忙しなく飛び回っている。目をつぶって、この羽音をきながら甘い香りを嗅いでいると、「平和」とは、こんな気分なんだろうなと思えてくる。
 このバラの株は僕が植えたわけでなく、育てているわけでもない。僕がくる前から生えていて、どんどん周囲に広がっている。まあ、雑草のようなものであるが、どうしても刈り取る気になれない。もっとも、刈っても、すぐ根っこから萌芽するだろうから、そんな無駄なことはしない。ウキペディアを見たら、学名の小種名(multiflora)は、「花の多い」という意味で、房咲きの園芸種バラの原種だそうだ。庭の花を見て納得した。


2018年4月13日

秘密の散歩道


 昨日、Iさんとその仲間と一緒に山小屋周辺を散歩していて、素晴らしい場所を発見した。この散歩コースの途中には、巨石が重なる龍神様や中世の薬師如来が鎮座している薬師堂などの史跡がひっそりとある。今回見つけた「秘密の場所」は、それから尾根道を少し歩いた先にあった。

 そこは、最近、森を伐採したので、広く展望が開けるようになったのだ。八郷盆地が360度眺められる。僕はこんな場所を他に知らない。盆地を取り巻く山並みが全て望められる。はるか遠くに見えるのは鹿島、その先は太平洋の水平線。反対側には筑波山が迫る。北を向けば、難台山、吾国山、そして加波山、足尾山に連なる山並み。南を向けば、半田山、権現山から朝日峠、宝篋山に連なる山並み。麓の田んぼに水が入って、キラキラ輝くのは、もう間もなくだろう。視界いっぱいに広がる山肌は、例年より早い新緑にあふれている。針葉樹の深い緑と芽吹いたばかりの落葉樹の緑の対比が美しい。山の「笑い声」が、うるさいくらいだ。


 こんな場所を山小屋の近くで見つけられたのがたまらなく嬉しい! 山小屋を出て1時間半もすれば一周できるのだから。ここを知っているのは、伐採の作業員と僕らだけのはず。「場所を詳しく教えて欲しい」と言われるかもしれないが、当分の間は「秘密の場所」にしておきたい(コッソリなら教えていいけど ー笑ー )。



2018年3月5日

これがピーだ!



 先日、若い女の子が小屋に来た。僕の顔を見るなり、「たった今、入口の坂のところでタヌキを見た」と言う。彼女は「まだ、あそこにいる」と言って林道を指をさす。
「あれは僕のところの猫だよ。ピーと言うんだ。ピーが見られたなんて、君はすごくラッキーだと思わなくてはいけないよ。小屋に来た人で、ピーと会える人は稀なんだから」

 確かに、暗褐色の長毛で、少し太りきみのピーを後ろから見れば、タヌキと間違うだろう。特に冬季のフワフワ、ムクムクした毛皮はタヌキに見える。内心、猟師に鉄砲で撃たれでもしないかと心配しているくらいだ。しかし、正面から顔付きを見れば、すぐわかる。第一、こんなに可愛いくてハンサムなタヌキがいるはずがない!

 昨夜は、よく晴れた満月の暖かい晩だった。風邪をひいて、昼間寝ていたから真夜中に目が覚めた。ベッドの窓から、青白い月光が落葉樹の庭に注いでいるを何気なく眺めていた。そのときである。黒い影が、木々の間を走り回っている。目を凝らしてよく見ると、ピーだった。寒い冬が終わって、また、美しい夜が巡って来たことに浮かれているだろうか。小屋に戻って来たところを捕まえて説教してやった。「こんな晩に、こんな行動をとるから、タヌキに間違われるのだ」と。 
(もしかすると、ピーはタヌキが猫に化けたのか?(笑))




2018年2月21日

地下の大師像




 十数年も昔、僕が八郷の地に足を踏み入れた初期の頃、集落のお婆さんから「子供の頃、穴蔵の中に、たくさんの仏様が祀ってある場所に行った記憶があるが、今ではそこがどこだか分からなくなってしまった。見つけたら教えて欲しい」と言われた。それからしばらくして本格的に八郷に棲むようになってから、それらしい穴蔵を見つけた。

 朝日トンネルを抜けて、八郷盆地に入って間もなく道路の左手に丘陵が現れる。その頂の栗林の中に、小山が見える。岩谷古墳である。注意すれば、運転していても見える。大きさは径15〜18m、高さ2mの円墳で、横穴式石室がほぼ南に開口している。数えてはいないが、石室内部の玄室と前室には、かなりの数の大師坐像が安置されている。聞くところでは、江戸時代に地元の大師信仰者によって寄進されたものだそうだ。石室やその入り口に使われている石材は立派なもので、丁寧な加工が施されている。
 確かに、幼い女の子が、お婆さんらに連れられて、ここを訪れたとしたら大変な驚きだっただろう。穴蔵の暗闇に、ボッーと浮かび上がる無数の仏像。カビ臭く、湿った土の匂い、何か得体の知れないものが這い回る気配・・・・。一生、記憶に残るほど怖かったかもしれない。

 先月、この近くを通ったら、重機が古墳を壊しているのを目撃した。車を止めて、「更地にするつもりか」と怒りを隠しながら聞いたら、現地にいた中年の男性が、「とんでもない。3・11の地震で壁の石版が倒れたので、元に戻す工事をやっているのだ」と返答があった。今日、見たら、すっかり補修は終わったようで、「真新しい古墳」ができていた。大師像も安心した様子で元の通り鎮座していた。
これまでも、いつでも花や線香が供えてあったし、今回もちゃんと修復工事がなされるなど、現在でも、地元には信仰が生きているのを知って嬉しかった。



2018年1月7日

海の恵み


 明日から寒波がやって来て冷え込むらしい。だからというわけでは無いが、今日は、西へ東へと薪集めに奔走した。おかげで、皆さんから戴いた量で、無事今年の冬を越すことができそうだ。

 友人のY氏の所に薪を取りに行った際に、彼の自宅に寄ったら庭先で塩を作っていた。話には聞いていたが、実際に海水を煮詰めて塩を作るのを見るのは初めてである。彼は、毎年自宅で使う塩は自給している。今年はこれで3回目だそうだ。昔は、九十九里沿岸のいたる所で作っていて、ところどころに釜の字が付く地名があるのはその名残だそうだ。この直煮製塩法は最も古い製塩方法で、縄文・弥生時代の頃から行われていた。各地の遺跡で製塩土器が見つかっている。いかにも、古代遺跡に詳しいY氏らしい。

 煮立っている塩釜を覗くと、水分が蒸発してシャーベット状になった海水から、ボコボコと白いお饅頭のような泡が上がっている。その溶液を網のお玉で掬っては、隣に塩の山を積み上げる。出来上がったばかりの塩をひとつまみ舐めてみた。実に美味しい!舌にツンとくるような刺激が無い。マイルドで味に深みがある。わざわざ、鹿島灘から大量の海水を運んで、何日もビニールハウスの中に置いて水分を蒸発させ、硫酸化合物を除き、さらに、薪を一日中焚いて煮詰める。何と手間のかかる贅沢な塩なんだろう! 

 出来た塩をいただいてきた。小屋に戻る途中、この塩に相応しい料理は何だろうかとあれこれ考えた・・・。余計なものは一切加えないで、海の恵みをそのままいただくような料理がよさそうだ。蛤か鯛の潮汁なんてどうだろうか?


2018年1月2日

初詣


明けましておめでとうございます。
今年も、どうぞよろしくお願いいたします。



 毎年、初詣は山小屋の上にある龍神様と薬師堂に決めている。それらは、静かな山道を登った先にある。今ではほとんど訪れる人もいない。それでも、龍神様にはワンカップのお酒とお賽銭が供えてあって、周囲の森は綺麗に手入れされていた。まだまだ、素朴な信仰が生きているのを知って嬉しくなった。



 山道を息を切らしながら登っている間、昨夜読んだ寒山詩の一節を思い出して、何度も呪文のように繰り返し唱えて苦しさを紛らわせた。この詩の全文は下記の通り。
    ・  ・  ・  ・  ・
「歳去って愁年を換え 春来たって物色鮮やかなり
山花緑水に笑い 巖樹青煙に舞う
蜂蝶みずから云に楽しみ 禽魚更に憐れむべし
朋とし遊んで情未だ已まず 暁に徹して眠ること能わず」

念のために、久須本氏の現代語訳を下記に紹介します。暇な方はご一読ください(笑)。
まことに正月に相応しい内容だと思う。(新暦ではちょっと早すぎるか?)

「一年は過ぎ去って、心配ごとの多かった年は改まり、新しい春が訪れて、自然の景色は実に鮮やかである。山に咲く花は、緑の水に映じて微笑みかけているようだし、岩に聳え立つ樹々は、青い春霞に舞いたわむれているようである。蜂や蝶はそれぞれ楽しそうに飛びまわり、鳥や魚は誠にかわいい。これらを友として遊んでおれば、限りなく情趣がわいて、夜も眠られずに、とうとう明けがたを迎えてしまった。」
                               (座右版 寒山拾得 久須本文雄著 講談社1995 )